2008年6月30日月曜日

暗闇は想像力の世界






武蔵野大学公開講演。童話作家廣田衣世さんのお話(武蔵野女子短期大学・文科国文専攻(平成4年卒業)
暗闇は想像力の世界:
PCで調べればほとんどのことがわかる。手軽にPCに入るまえに、不思議の方向に目をやってしばらくしてPCに向かうのでも遅くはない。アホで楽しく暮らすのも悪くはない。
うまれは島根県では安来節で有名な安来市に住んでいる。宍道湖・松江と米子の間に位置する。
神話の世界の出雲や世界遺産になった石見銀山もちかい。銅剣が358本も一か所で発見された荒神谷遺跡もちかいし古代色の濃いところです。そういえばあの小泉八雲は松江に住んでいた。

最初の不思議体験:姉・兄の次は末っ子の次女にうまれ、どうしても弟が欲しかったがかなわず、名前をクマタロウというパンダ人形と寝起きをともにしていた。ある5歳になった朝、枕もとにクマタロウがいない、パニックになっていたが家族の誰に聞いても分からない。近所の下山神社にお参りして見つけてくださいと必死に祈った。翌日いつも通る道と反対側の道はスグ線路で柵もなく危ないからけしてとおってはいけないよといわれていたが、何故か引き寄せられてその道を通って神社の前にくると、思いもかけず、神社の狛犬の頭の上にクマタロウがのっていた。
2つめの不思議は中1の時はコワイ話のブームであった。毎日コワイ話をしていたが、とうとう種がつきて、自分が作った話をそれといわずに披露した。神社の石段にユウレイがいた。それはおばあさんで、防災ずきん・モンペ・手にはヤカンをもっていたのが消えてしまった。翌日幼馴染のレイコちゃんとサナエちゃんも神社の石段でそれを見た。これをレイコちゃんが書いた作文が全校の作文で最優秀にえらばれて、ますます嘘だったという機会を失った。
それから何年かしてPHPという本で募集の怖い話の裏話に応募したところ、マサカの最優秀に選ばれた。こうなると、幼馴染みのレイコちゃんにも釈明の電話をしたところ、こちらから何も言わない内に、レイコちゃんが電話をとって開口一番、「昨日サナエちゃんとお茶を飲んだ。ところがあの幽霊の話が二人の話にでて盛り上がったの」という。
「実はね、あれは私が作った話なの」「そうなの、私も謝るわ。幽霊が階段で消えた筈なのに、私は階段を越え、御堂の中に消えたという作文にしたの。ごめんね。」と互いに詫びた。
 子供は理屈をつけて記憶に残す;
 ●鼻水はどこから→脳が解けたもの。→そう思った坊やは必死にすすった。
●電車やバスのアナウンスの声の人はどこに隠れているの→あの薄い天井に隠れるには「ノシイカ」みたいに薄くなるのは大変だろうな。
●父やおじいちゃんの喉ぼとけ:梅干しの種がひっかっかたものだろう。そう思ったので大人になるのには梅干し嫌いの坊やが努力して沢山食べた。
こんな話を集めてメモをしてネタに生かす。
不思議は表現できないが、感じるだけ。こんな話が沢山でてくるし、このような話と昔話を融合し不思議な世界にトテモ敏感で新しい話を書いている。
福島正美記念SF童話大賞審査委員、小川未明文学賞優秀賞受賞、毎日新聞「よんであげて」に連載。ラジオ毎日放送「童話の散歩道」
東京で内定の仕事があったのに、コマーシャルでのどかな田園風景をみてヤッパリ田舎がよいと得心した。一日2時間はボーッツとしないと死んでしまう。ところがいなかに戻っての仕事が9:00から25:00までのかなりハードな仕事でした。夜道の帰宅であの世に逃げたいというところまで追いつめられた。
Y字路の中央部分で突っ込みそうになったのをある人の警笛でフトわれに帰り、これは危ないと思い直して、その仕事を辞めた。
毎日涼しい図書館通いが始まり、受験生のよこで本を読んでいた。2人の恋人同士のアツイ会話が耳に入ってきた。このイチャイチャ振りに触発されて「縁結び」につての童話を書きだした。その年島根県に震度6強の地震があっったが、本棚から落ちなかったのは「縁結び」の原稿だった。
そうこうしている内、この応募は1・2次審査なしに本審査の発表だった。ところが審査結果も届いていないのに、楽天的な広田さんはなぜか分らないが、洋服屋によって「表彰式があるのでスーツをください」「どなたのですか」「私のです」と買ってしまった。家に帰ったら、幸いにも「おめでとう」の電話が入って胸をなでおろした。このように素直に不思議だとおもうことが大事なあと思うそうです。暗闇の世界はポットン厠、これが恐怖心をもたらすが、そこには想像の世界が待っている。
出雲の国は白か黒の2者択一の世界の一神教ではない。貧乏神もあれば福の神もある(お守り同士も喧嘩する。)
水の神でもあるし、妖怪でもある2面をもった河童の話を集めるのに、岩手の遠野物語の小川で一日中「河童よ出て来い」念じていた。童話の構想を膨らますのに、場所を選ぶのですね。最初から否定したら、不思議の世界の扉はあかない、同じ人生ならもしかしたらと考えることが無限の世界に遊べるのですと結んだ。

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