2008年6月24日火曜日

米国の深慮遠謀



1898年の米西戦争の結果、アメリカはスペインかに2千万ドル支払、フィリピンの支配権を獲得する。そして20世紀初頭、日本が対ロシアとの戦争に勝利するや、対日恐怖症が米国をうごかし、密かにオレンジ作戦と呼ばれる、来るべき対日戦争のシナリオ書きが始まる。そのシナリオにおいて、日本と戦争する上で、フィリピンが太平洋にあって、いかに軍事的に重要な拠点であるかが早くも認識されている。余談だが、この作戦以前から海軍の戦略家アルフレッド・マハンの著作に「日本は必ずフィリピンに侵攻するであろう」という予言がしばしば現われている。これは地政学上から見たフィリピンの重要性から導き出されたものであった。マハンの考え方は20世紀アメリカの戦略家の常識となっていた。アーサー・マッカーサーらが20世紀初頭、フィリピンに軍事顧問として赴任するのはそうしたアメリカの考え方からであった。その予言が的中するのは、それから40年近い歳月を必要としたが、マハンの予言が正しかったことは1941年12月7日パールハーバーと同じ時期に日本はフィリピンに侵攻した。フィリピンは海を間にした日本とアメリカが勝手にフィリピンを主戦場にイメージしていた。帝国主義とは誠におかしな時代だった。
フィリピン、ラテンアジア感情旅行(世界・わが心の旅:石川好)

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