2008年6月28日土曜日

川田龍平参議院議員は訴える




厚生行政を根本から変えたいと川田龍平参議院議員は鋭意訴える。
薬害エイズにとどまらず、C型肝炎、インフルエンザ治療薬のタミフルなどの薬害による被害の問題が繰り返されている国の厚生行政の仕組みがなにも変わっていない。医療費のカットにより、治療がうけられなくなっている。立候補したのは公的制度でしっかり安心した暮らしができる社会にしたいというのが動機である。すごく励まされたのは、薬害エイズのときも実名を公表した時もそうでしたが、家にひきこもっていた人が「街頭演説を聞きたくて出てきた」という人がいたり、「演説を聞いてすごく元気になった」と手紙をくれました。人に励ましを与えたり、希望につなげたりすることができたということは喜びでした。1995年実名を公表したときに、富塚学長が東経大の全学に紹介してくれたそうですし、大学が受け入れのための勉強会も開いてくれた。1996年には裁判の和解が成立したことから、教職の勉強に入ろうと思っていたが、全国から講演の依頼がおさまらず、そのご98年には休学し2000年までドイツのケルンで勉強した。同じ敗戦国なのに、なぜ豊かさに違いがあるか、実際に暮らして確かめようと思った。ドイツでは戦争責任、薬害エイズは国の責任、官僚の責任など国の責任についてはなるほどという納得がいった。日本のよいところは憲法9条に代表される考え方は世界に誇れる考え方だと思いました。ドイツからもどっきて東京21区の衆議院に当選した母の議員秘書もやっていたのですが、次の選挙で母が落選した時には、運よく松本大学で講師をやる道がひらけた。都会である東京やケルンにくらべ、長野の松本では、終電を気にせずワイワイ先生や学生と地域に溶け込む大学作りなどについて語り合えたのも貴重だった。31歳の若さでの当選とは東京選挙区で、無所属で参議院議員に当選したのは市川房江さん以来42年ぶりだった。参議院では無所属でも質問の機会が数多く回ってくるところが衆議院と違うところ。第一希望としての厚生労働委員会(年金、福祉、薬害、労働問題)は倍率がたかく、同様に大変な問題である環境委員会に入った。
東京経済大の同窓会誌NO320:20年1月号

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