2008年1月3日木曜日

接待と談合の歴史


おはようございます。おせち料理ももうなくなりました。やはりこれがあったほうが正月の気分が続きます。そうはいうもののコンビニでも、スーパーでも買うのには困りません。

接待と談合の歴史:(歴史を考えるヒント・新潮選書・網野善彦)より
備中国新庄の文書元弘3年(1333年)に書かれていること。国司の上使が83名の一行がきたときの接待した代官は朝夕酒肴を調え、酒も出した。織物の引き出物を渡したと記されていた。こうした饗応は「供給」と呼ばれ、日本社会に古くから根付いた習俗であった。このように酒宴をもようし、余計な口出しをさせないで無事に出て行ってもらうのが代官として最も賢明なやり方だったそうです。また正月に百姓と一緒に酒を飲むときの費用も、代官は必要経費として年貢の中から支出することが認められていた。
百姓に年貢や公事を納めさせることは当然に大事な仕事だった。そのために正月や、年貢を倉に納められた「倉付き」のときには大盤振るまいをしたのです。
同じころ若狭国太良庄の地頭は正月に酒宴もせず、酒粕の汁しか与えなかったので、百姓から追放されており、いかに酒宴の意味が大きかったかがよくわかります。

何かを期待する談合というと暗いイメージですが、昔は冠婚葬祭も酒宴の席があり、和み睦あう意味の内容が濃かったのでしょうか。
イエローポスト

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