2008年1月30日水曜日

古本屋の商売根性


古本屋の商売根性
古本屋に30分以上入ってみていると、こういう本がないか尋ねると、かなり説得力があって逃げ切れない場合がありました。

俗に古本屋と軽く呼ばれるが、文化を広く流布させて且後世に伝える重要な役割は無視できない。
古本屋は新刊書店とちがって仕入に身銭を切るから、売れなければ丸損となって泣き寝入りとなる。よほど慎重に選んで値踏みしなければならならない。昔から古本屋が倒産した例はないといわれる。
古本屋は在庫品の販売目録を全国の愛書家に送りつけて、注文を待つ熱心な店もすくなくない。
店売りにせよ目録にせよ、これはと思う本にひときわ高い値をつける工夫をヒネルという。又揃いものをそのまま纏め売りか、わざとバラ売りにするかについて思案がいる。
全集や大系ものをどう売りさばくは古本屋にとって難しくもあり、また妙味もある商いのひとつの勘どころだ。普通は全冊揃いの価格の2分の1位で巻数頭割りにし、画一の値段で売ると、必ず売れ残りがでるので、そこでヒネルことのできる巻を見つけて、その分だけ他の値段を落とすのがベテランの腕のふるいどころだ。これにはなによりも売りつける側の知識とセンスが問われる。
古本屋店主との付き合い方は:不用意に接するとご機嫌を損なう。古書を扱っているという誇りをもっている。棚にある本を手に取って見ている態度から、どれほど古書に慣れているかを見抜く。水上龍太郎は大抵古本は言い値で買う。これはまことに心持のよいものだという。先方からひどく馬鹿にされたような嫌な心持がして値切ってみるとか、さもなくば値をつけずに立ち去るのが一般ではあるが・・・。古本屋には先にかいたように、値をつけた根拠があるので、一種の矜持がかれらにはあるのだろう。
好い高い本は割合に得ることは容易であるが、屑物同然の本で入用なものは却って容易ではない。和漢書の端本屋があるが、方々から買い集めてそれをとりあわせて完本を作るという商売もあるそうです。
谷沢永一著:「えらい人はみな変わってはる」より
写真は蒲郡市博物館灯具常設展より

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