2008年1月10日木曜日

私が愛した官僚たち


私が愛した官僚たち:横田由美子[AREA]「論座」「日刊ゲンダイ」「現代」「新潮5」などに、」IT企業、政治、官僚についてリポートするライター。
●日本は役人天国なので、役所の規制や動向を熟知している人がいたほうが民間の会社でも戦略が立てやすい。社会のなかで「役所の地位」が目に見えて墜ちてきている。
●若手の元官僚には外で培った能力を再び役所にもどって生かしたいと考えあちこちの会社を漂流している人がすくなくない。事実「任期付採用制度を利用して、外務省の経済協力局に雇用されている。
●自治省に官僚は入省してすぐ地方に出て、20歳代後半には市役所の部長クラスで出向。次は都道府県で財政課長クラスに出向。30歳代後半で本省にも
どり、40歳ごろ都道府県の総務部長。その後も知事や市長などあらゆる可能性が開ける。だからよほどにことがない限り辞めないし、国政を目指すとしても50歳をすぎてからという人ばかりである。
●金融問題などは課長補佐は課長に説明した後、審議官、局長、次官の決裁を経てようやく大臣にたどりつく。併せて他官庁、自民党有力議員、政調へのねまわしを行う。こんな「亀」のようなスピード感では世界で戦っていけないのでは。「財務省にもっと権限があれば、こんあに国の借金は増えなかった」
政治家は権限があるが、専門知識がないから決断できない。役人からペーパー
が上がってくるのを待つしかない。「権力と権限にずれがあること。それがいまの政と官との最大の問題点」
●どぶ板選挙で叩き上がってきた政治家は財政の健全化にはまるで興味がなく、道路やダムなど、選挙区にどう利益を誘導するかだけに集中していた。公益を達成したい政治家はいるのか・・・残念ながら願望にすぎない。
国民の税金を使って選挙区に利益誘導するだけでは、財政の悪化の一途をたどるだけである。いっぽう民間の側も補助金や公共投資に頼るだけでは創意工夫や自主性が失われ活力ある社会は生まれない。与謝野馨や谷垣禎一といった政治家が財務官僚から人気が高いのは「本質論」がわかっているからだという。
一般論だが「財政通」といわれる政治家は官僚にとって都合のいいことを言わされている人たちである。
●」無駄遣いを止めることができないのも、官庁で不祥事が続発するのも、終身雇用が守られていることに最大の理由があるという。競争やリストラが内から危機意識もない。いまだに福祉会館や勤労会館など、雇用保険をつかって「ハコモノ」を作り続けている。同じ組織にいれば馴れや甘えができる。
●財務省にもとめられること:いまや国と地方の借金は約八百兆円どころか千兆円に迫る勢いだ。現状では仮に消費税を10%引き上げても、その大半は借金返済に回さなくてはいけない。「あたらしい事業をしよう」という議論は少なかった。上司は「やめましょう」というのがほとんどで、「やりましょう」は2~3割だった。財務省が新しい事業や仕組みを果たせなくなっている。たとば予算が八十兆円あると、そのうちの相当部分が国債費とあらかじめきまっている。税収がのびないと官僚はほとんど頭をつかわなくなってしまう。
多くの財務官僚が「これからはマイナスの仕事ばかりだ」と口をそろえる。今後財務省にもとめられるのは何なのか。その答は、まだ見えてこない。
●役所で名をあげたと評価されるのは「AREA」「噂の真相(休刊)」「2ちゃんねる」で批判を浴びたときです、この3つで叩かれれば、大物官僚とみなされます。
●キャリア官僚は、幼少のころより英才教育を受けられる金銭的余裕のある層に限られている。2世や財界、政界の子息がゴロゴロしている。この中に地方の普通の家庭に育ち、公立高校から東大に進学したような「元・神童」が入ると「勉強だけできても意味がない」という無力感を強く感じる。大した努力をすることなく勉強ができてしまうのは最低必須条件で、スポーツ万能で、芸術にも造詣が深く、女性にもモテるという「スーパーマン」を目指してしまうことになる。
●財務官僚は退職後も仲間意識が強く交流が深く、相互に応援体制ができている。
●財務省より経済諮問会議のほうが政策決定権が強くなっている。

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