2008年1月6日日曜日

教師の仕事と演劇


フリップ・プルマン「ライラ」からの手紙、マーガレット・S・ユアン著中村佐千江訳。教師の仕事と演劇
プルマンは3つの学校で教師を務めた。1970年代のはじめには生徒に何を教えるかは教師が自由に決めていいことになっていた。プルマンにとって教師の仕事は自分の創造性や才能や興味を子供達のために役立てるよい機会だった。彼は生徒たちに物語をし、自由に文章を書かせ、あまりテストをしなかった。ある学校では図書館も作った。またおそらくこれが一番重要なことだが、プルコンは教師時代に学校演劇の脚本を沢山かいて演出したことだ。
プルコンはこう書いている。物語を語るときに本当に恩恵を受けるのは実は聞き手よりも語り手なのだ。物語を語ることにしたのは、教育によいと考えたからだ。偉大な物語を何度もくりかえし語りきかせ、よりよい言葉を探し聞き手の反応を窺いつつ少しづつ間合いやリズムやペースをつかんでいくことは三千年前ホメロス自身が体験したことではなかろうか。そう考えれば考えるほど
幸運に感謝する気持ちでいっぱいになる。なにを教えれば一番生徒たちのためになるのか、どうやってそれを教えればいいのか自由に決めることができたのだから。いまだったらそういうことは許されないだろう。

プルマンは「ガーディアン」という新聞に次のように書いている。教師達をしばりつけている機械的な文章指導法には疑問を感じている。指導手引きを見ると、文章力テキストではきかり15分なにかを書かせ、残りの45分で書き上げるよう指導せよと書かれている。しかしよい文章はそんなふうに生まれてこない。又気の毒な生徒たちが教え込まれているように計画・下書き・書きなおし・仕上げ・編集という段階を踏んで文章が生まれてくるわけでもない。プルコンは文章の書き方を夜釣りにたとえている。“物語を書くのは夜中に小船にのって釣りをするのに似ている。海は自分よりずっと大きく手持ちの小さなランプの灯りではごく狭い範囲しか照らせない。光に誘われて魚が集まってくるかもと思って待っているが、もしかすると一晩中座りこんでいても一匹も釣れないかもしれない”まわりをとりかこんでいるのは静けさとたっぷりとした時間だけだ。おだやかな気分だが眠っているわけではないのだ。

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