2008年1月24日木曜日

厳しかった父が懐かしい。


厳しかった父が懐かしい
毎日の学科がすむのは午後2時か3時頃である。教育熱心な父が依頼した放課後の特別教授があった。学校の級友はみな帰ってしまい、ガランとした教室の中には僕と英語の先生だけが残っている、“It is a hat”などを繰り返しているうちに窓外は薄暗くなって行き、帰りたさ、遊びたさに堪らなくなってくる。自分でもしらない間に涙をぽろぽろこぼしたりした。これを半年ほどやって9歳の1月からは、もうひとつ夜学の漢文(外史や十八史略、論語)の素読だった。こうして家に帰ると八時か九時だった。父も帰っていて、そして時には父の前で復習させられるが、これが一番ながく感じられるのだった。気を引き締めていても、つい居眠りが出たしまった。そんなとき父から一喝をくらい、縁側の障子をあけたと思うと、外の庭に突き飛ばされたことがある。忘れもしない、その晩は雪が降っていた。母の姿が廊下に見えると「ばかっ、誰が許した。上げてはいけない、戸を閉めてしまえ」。
わんわん泣きながら30分間障子の中に誤った。やがて裸足で台所口で氷のような足を母の手であらってもらった。そして母と一緒に泣きじゃくりながら、もういっぺん父の前に座らされた。父がぼくに課したことは、もちろん父の愛情と信じていたことであろう。父性の大愛と考えたことに違いない。今の父親や教育者には理解しがたいものだろうし、現在の僕自身にも到底できない。しかし今日の親たちのわが子への、あまりにも放任ぶりや甘やかしにまかせている風潮にもいささか疑いがないでみない。時にはかつての厳しい父性に郷愁を感じてことが正直否めないという気持ちが、ぼくにはある。
あるときは大あらしのときであったが、父の会社に弁当を届けさせられたときは、父も上機嫌で兄妹に一品洋食を取ってくれたり褒めたりしてくれた。そんなときは父の姿が又なく温かな大きな父に見えた。吉川英治:忘れ残りの記

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