2008年1月31日木曜日

運動不得手?


現在の学校体育:脚の速い子、運動能力の優れた子はぐんぐん伸びるが、不器用な子、どこか身体図式に欠落があるように見受けられる子は自分はダメだというコンプレックスを助長する場にしかならぬ。実際、教師や母親にはなすと、私は運動が不得手人があまりに多いのに驚かされる。そう主張する人たちに私は次のような話をし、レッスンを試みてもらう。
---猫はからだがやわらかいと言われているが、「実は人間の方が猫より柔らかい」という言いだしたのいは野口三千三さんだ。「四足の動物は前に行くことはできても、うしろへ歩くことはできない。うしろへ歩くことができるのは人間だけ」自分の体が非常に堅いと思い込んでいる方は一度四つん這いになってネコをやってみるがいい。歩いたり、ごろりところがったり、あくびをしたり、どんなに楽か、そして自分のからだも案外やわらかいことがわかる。たいていの人はかけっこが遅かったとか、跳び箱が飛べないとかというに過ぎない。たいていの人はある運動はだめかもしれないが、ある動作は非常に能力がある。これが普通なのだ。「健全なる精神は健全なる肉体にやどる」はよく言われるが、「健全なる」の意味はそのもの本来の機能を十全に働かせているという意味のほかに、社会に害毒を及ぼさぬという意味をふくんでいる。これは一定の価値基準にあてはめて人を選別し、それに適わぬものを差別する、実際上この有名な譬えはそういう役割をはたしているのではないか。たとえばまっすぐに歩けない子供がいたとします。これは「不健全な」からだだ。
それを「健全」なからだに仕立て上げるということは、ちょうどシンデレラの靴を履こうとして、指や踵を切り落とそうとした継娘たちの愚をおかすことになるのではないか。本来はどのような能力を「育てる」ことによってそれを補うか、それに向かって努力してゆくことだ。そこには固定した価値基準はない。(出典を失念してしまいました)
写真は蒲郡市博物館絵手紙展より

2008年1月30日水曜日

古本屋の商売根性


古本屋の商売根性
古本屋に30分以上入ってみていると、こういう本がないか尋ねると、かなり説得力があって逃げ切れない場合がありました。

俗に古本屋と軽く呼ばれるが、文化を広く流布させて且後世に伝える重要な役割は無視できない。
古本屋は新刊書店とちがって仕入に身銭を切るから、売れなければ丸損となって泣き寝入りとなる。よほど慎重に選んで値踏みしなければならならない。昔から古本屋が倒産した例はないといわれる。
古本屋は在庫品の販売目録を全国の愛書家に送りつけて、注文を待つ熱心な店もすくなくない。
店売りにせよ目録にせよ、これはと思う本にひときわ高い値をつける工夫をヒネルという。又揃いものをそのまま纏め売りか、わざとバラ売りにするかについて思案がいる。
全集や大系ものをどう売りさばくは古本屋にとって難しくもあり、また妙味もある商いのひとつの勘どころだ。普通は全冊揃いの価格の2分の1位で巻数頭割りにし、画一の値段で売ると、必ず売れ残りがでるので、そこでヒネルことのできる巻を見つけて、その分だけ他の値段を落とすのがベテランの腕のふるいどころだ。これにはなによりも売りつける側の知識とセンスが問われる。
古本屋店主との付き合い方は:不用意に接するとご機嫌を損なう。古書を扱っているという誇りをもっている。棚にある本を手に取って見ている態度から、どれほど古書に慣れているかを見抜く。水上龍太郎は大抵古本は言い値で買う。これはまことに心持のよいものだという。先方からひどく馬鹿にされたような嫌な心持がして値切ってみるとか、さもなくば値をつけずに立ち去るのが一般ではあるが・・・。古本屋には先にかいたように、値をつけた根拠があるので、一種の矜持がかれらにはあるのだろう。
好い高い本は割合に得ることは容易であるが、屑物同然の本で入用なものは却って容易ではない。和漢書の端本屋があるが、方々から買い集めてそれをとりあわせて完本を作るという商売もあるそうです。
谷沢永一著:「えらい人はみな変わってはる」より
写真は蒲郡市博物館灯具常設展より

血と油その3


外国からの石油需要を減らすための持続的かつ包括的なエネルギー戦略を採用したことはなかった。つまり石油の持続的供給を「国家安全保障」の問題と位置づけ軍事力の行使を通して防衛しうるものとしたのだった。米国は98年4月に外国石油依存度が50%を超えた。2030年には70%に達すると見られている。世界の需要を満たすためには、ペルシャ湾岸以外の多くの地域では生産量が頭打ちになったり減少したりするため湾岸産油国全体
1日当たりに換算して1999年の4450万バレルを80%増の2050万バレル増産して2020年には4450万バレルにする必要がある。それに例をサウジアラビアにとれば2020年までに倍増の生産量にして達成させることが必要になる(湾岸諸国が裕福とはいえどこれに応じるに、生産インフラには2001年から2020年までの間5230億ドルもの設備費用が必要となるので、こんな巨額の資金の投資を受け入れるには湾岸諸国が考えていることである国有のエネルギー部門完全支配を維持する長年の決意に背くことになる。外国企業の参入を制限している国もある)
ブッシュとチェイニー政権が唯一引き出すことができた結論はペルシャ湾岸諸国には自国の力で石油を増産するとともに、国外への供給経路を守る意思も能力もないというものだった。政府のエネルギー計画を成功させるには、アメリカは湾岸地域で支配的立場に立ち、主要生産国の政治と治安の油田を監督する責務を負わねばならない。採掘量最大化戦略を成功させるにはその増産部分が自国やその他の主要消費国の手に無事に渡るように米国は万全をきさねばならない。つまり危険にさらされている湾岸の同盟国が危険にさらされているならばテコ入れに脅かすものはすべて抑え込まねばならない。三つの課題があった①サウド家のサウジアラビアの政情を安定させる②イランのフセインを失脚させ増産可能な新政府を樹立する③イラン政府に最終的には親米政権を出現させる。
米国内の事情をみれば石油消費量は交通・運輸に多く、アメリカの膨大な数の自動車、トラック、バス、飛行機、列車、船につかわれる燃料の97%が石油製品だ。これほど石油は米国の血液(日本でも同様)になっている。これほど手軽な効率のよいエネルギーがほかにないからなのだ。
「血と油」アメリカの石油獲得戦争マイケル・T・クレア(米国屈指の紛争アナリスト)より
写真は蒲郡市博物館絵手紙展より

2008年1月29日火曜日

血と油その2


写真は蒲郡市博物館「絵手紙」展の全国応募作品のなかから


現在世界人口の5%たらずの国が、世界全体の石油供給量の25%を消費している。このままいけば2025年の消費量は現在の1.5倍に達する。これは産油国の政治と経済の継続的安定に命運をゆだねることになる。1973年から4年にかけての第二次オイルショックのような供給の途絶は広範な石油不足や価格の高騰、世界的な景気後退をきまって引き起こす。外国の石油に依存していれば、米国から供給者の国へ膨大な富がわたることになる。1バレル当たり30ドル(現在ではもう95ドル位で計算すれば下記金額は3倍以上)今後25年間に輸入する石油もの代金は3兆5000億ドルという。外国の主要供給国はこの見返りに国連での支持や新型の兵器の譲渡や軍事力による保護などだ。アメリカの歴代大統領がこのエネルギーと安全保障のジレンマを解決するのに成功した試しがない。(京都議定書のエネルギー問題に米国が同調しなかったのも、このエネルギーについて抑制しない・あるいはしたくないという意図があったからではないかという気がする。イスラエルを建国させたのも、中東に楔をうつあるいは足がかりを作る目的があったからではないかという気さえしてくる)「血と油」アメリカの石油獲得戦争マイケル・T・クレア(米国屈指の紛争アナリスト)より

2008年1月28日月曜日

血と油その1


石油はアメリカを強くしたが、石油を追い求めるあまり、アメリカは独断と専横の道へ進むことになった。「血と油」アメリカの石油獲得戦争マイケル・T・クレア(米国屈指の紛争アナリスト)より

第二次世界大戦の連合国側がつかった石油の7分の6をアメリカの油田が供給した。(しかし外国の石油を調達することが初めて国家安全保障上の問題となったのは、ローズベルト政権のもとだった。サウジアラビアをアメリカの保護下に置き、ペルシャ湾に恒久的に軍隊を配備することで、将来における自国のエネルギー輸入を守ろうと企てた。これによって際限なくこの湾に軍事的関与を深めていく過程をローズベルト大統領が開始したのだ。)戦後アメリカは石油を増産することによって、自国に大きな繁栄をもたらし、ヨーロッパと日本の経済復興を開始させた。しかし決定的な問題が秘められている。40年代末アメリカは増加するエネルギー需要を満たすために、外国の石油に頼るようになった。その後輸入石油の占める割合はほぼ一本調子で増加している。50年代には外国産石油は米国消費量の10%、60年代にはそれが18%、70年代にはその2倍になった。しかし72年から国内の生産量が減少の一途をたどり、ますます輸入に依存せざるを得なくなっている。自国の経済の活力を維持するため、徐々にではあるが、確実に外国の石油に依存度をたかめていった。米国は豊富な石油を安全保障と力の源泉とする国から依存する国へ変貌した。

2008年1月27日日曜日

ステキナ日本


1/10木曜日地上デジ3:NHKpm10:30からでした。
こんなステキナ日本という番組昭和35年の民族資料館にあった写真を片手にNHKのプロジェクトXの声優・田中トモロヲが訪れる。
石川県の白山市白峰地区は850人の住民が住んでいる。そこでおこなわれている伝統行事がある。これは報恩講と言って浄土真宗の行事で「ほんこさん」の愛称で呼ばれている。
毎年の冬の行事で親戚や親しい近所をよんでの食事会で宗祖をしのんで親鸞聖人の好物をともに頂こうというものです。精進料理なので山の幸である春のぜんまいやワラビやら、秋のきのこを一番おいしいところを半年もまえから取っておく。それを大勢の人の手伝いで料理して御馳走する。60セットも用意するが大勢なので2日に分けて招待する。
漆塗りの磨きぬかれたお膳1セットは今の価値でいえば20万円もする朱色のものである。大根と人参のなます、小豆煮、ウド、ふき、まいたけこれを御馳走する仏間座敷は天井が漆塗りになっている。ここは4代の世代がすんでいる。毎日ひ孫たちも仏さんを「今日も一日ありがとう」(子供は多少いやがっている節もみえる)がそれなりの年を迎えると自然と身につき、仏間で手を合わせるのがとてもいい気分になれる。当日は朝の3時から起きて準備する。今年から65歳のせつ子さんにバトンが渡されたが、緊張気味で4時になると薬屋をいとなんできた曾祖母の木下静子さん85歳が伝統の味の確認にくる。一番の御馳走は煮物のような具が沢山入った味噌汁。この「ほんこさん」のとき昔はこのときだけテンコ盛りの白米が食べられたのが今に伝えられている。入っている油揚げもぜいたく品と言われていた。配膳するときは節子さんやあとの2代の主婦が着物をきて丁重に運ぶ。その席での食べ残しは折にして持ち帰る。終わったら近所の手伝いや控えていた家族が食膳につく。知り合いの顔をみてホクホクした楽しい気分になる。

そのときはお墓にはもれなくお花が仏花専用の自分の畑がある。このお墓のお花も年中枯れることなく供えられている。夏にはちょっとでも長持ちするように持参した氷でひやすこともある。幸せは先祖のおかげと思っている。この行事が終わると積雪3mの雪に閉ざされる。ヒイばあさんは「大事なことはユックリやってくる。自分を支えているものに感謝することが伝統につながっている」としめくくった。
写真は蒲郡市博物館で行われていた毎年恒例の全国から応募のあった絵手紙展から

2008年1月26日土曜日

井戸に熊野修験が関係か


新年早々図書館でウロウロしていたら、「鋳物師と梵鐘とまいまいず井戸※1の話」・桜沢孝平著を手にして読んだ中にあったものです。

熊野修験(奥深い山など状況を理解していた)と鋳物師(下の金属精錬業者や熱源の木材が必要だからやはり山の木などが詳しいのか)のことをは関係がある。これが井戸にも関連がありそうなことが興味深いことでした。
鍛冶信仰と水霊信仰を祖神にもつ一族を伴って関東に根付いたことが、武蔵野の各所に地下水を求めた古井戸となって、現れた最初の井戸工法であろうという。
金属精錬業者(金とか銅とか鉄を見つけるために掘るからでしょうか)が水の乏しい土地に井戸掘りの工法を指導した。
彼らの残したと思われる古井戸も近世になってくると、上総掘り※2と呼ばれる竪掘りによる石積み工法の技術による新井戸が掘られてくると、水をくみ上げる重労働も必要がなくなって藤太秀郷らに従ってきた穴穂衆が創始した技術が、この時代になると、専門的石工技術者(井戸の壁が崩れないように石を積んだのでしょう)となって生かされ続けてきたとみられる。
※1まいまいずというのはカタツムリのことで、この形状に似てラセン状に地下に掘り進んで井戸を掘る工法のことです。 写真がそうです。
※2上総地方で創案された井戸の工法 :上総ぼり博物館http://www.chiba-muse.or.jp/KAZUSA/bunka/kzs_hori/index.htm発展途上国の井戸掘りに有効。