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2010年1月27日水曜日

祖先からの連鎖②


おはようございます。メル友から時々送られてくる俳句です。江戸川区の句会の会誌にも投句している。 四隅より 冷気寄せ来る 蒲団かな  まだまだ寒いですね。

イヴの7人の娘たち:ブライアン・サイクス著:大野晶子訳より
その後10年に及ぶ研究の結果、たった7人の女性へとつながった。その7人の女性こそが、6億5千万人にのぼる現代ヨーロッパ陣の直接的な母系祖先にほかならないことがわかった。ジニア、ヘレナ、
ヴェルダ、タラ、カトリン、そしてジャスミンであり突如彼女たちの存在が現実味をました。
わたし自身はタラ※の末裔だ。だから彼女等について暮らしていた場所、時期について推測できた。タラは1万7千年前の北イタリアにすんでいたと考えられる。当時のトスーカーナでは最終期の氷河期の
猛威のころで、大陸内の最南端だけが人間の生活可能区域だった。ブドウ畑も農家を飾るブーゲンビリアもなかった。丘の斜面にはマツやカバノキが鬱蒼と茂っていた。小川では小さなマスやザリガニが見
つかった。そのおかげでタラは男達が鹿や猪をしとめられなくても、家族を養い、飢えをしのぐことができた。タラの子供たちは海沿いにフランスに入り、北ヨーロッパの凍原を横切る大きな獲物を追って
移動する大勢の狩猟民と合流した。最終的にタラのこどもたちはのちにイギリス海峡となる乾いた土地を歩いてわたり、アイルランドまで移動した。その古代ケルト王国から、タラ一族は家名を
得ている。この研究結果が発表した直後から7人の母たちに関するニュースが世界各国の新聞やテレビに紹介されるようになった。
メディアは想像力を膨らませ、現代人のなかに母たちを見つけようとした。ブリジッド・バルドーはヘレナの生まれかわりで、マリア・カラスはアースラ、モデルのヤスミン・」ル・ボンは当然ながらジャ
スミン、ジェファー・ロペスはヴェルダという具合に。自分の母を知りたいという人たちからの電話が殺到した。
話は飛ぶが、現代から、農耕のはじまりへと、さらに祖先がネアンデルタール人とともに、狩りをしていた時代にまで旅することになる。誰もがそうした歴史を遺伝子のなかに秘めている。実質的にわれわ
れの中のDNAが受け継がれているのだ。
※http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%A9%E3%81%AE%E4%B8%98 

2010年1月26日火曜日

祖先からの連鎖①


おはようござます。下記の本を読むと、自分の身内については名前をしっている3代前位しか祖先のことはわからないが、考えてみれば今の自分は生物の誕生からつながっていることになり、不思議に身近な存在に感じます。
イヴの7人の娘たち:ブライアン・サイクス著:大野晶子訳より
1991年9月19日の木曜日にドイツのニュルンベルグのベテラン登山家、ジーモン夫妻はアルプスの高地で裸の男の死体を発見した。とても古めかしいアイスピッグがあったので転落事故によるものかと思われた。行方不明の記録
で1941年にそのあたりの事故はイタリア人の音楽教授ではないかと思われた。しかそこのアイスピックは現代のものではなく、数千年前のものであることがわかり、国際的な重要な考古学的発見ということになる。このユニークな発
見物の精密調査にあたることになった。オクスフォード大学に属する私(著者)はアイスマンのDNAを調べることになった。
炭素14代測定法によって化石に含まれる放射性炭素原子の微小な崩壊を測定する方法で5千年から5千3百50年前の人間であることがわかっていた。氷の底で凍っていたので、水や酸素にさらされていないので破壊されずに保存され
ている。
1912年にイングランド南東部サセクス州の砂利層で発見された類人猿のいようなイタズラでもない。このDNAが現代ヨーロッパ人のなかにDNAがぴったり一致する人がいることもわかったので、『サンデー・タイムズ』の知るこ
ととなり、しかも著者の知人マリーであって、(イングランド南部にドーセット州ボーンマスの郊外で経営コンサルタント)「アイスマンの親戚、ドーセットで発見」という記事が掲載された。
私はマリーとアイスマンのようにDNAが何千年にもおよぶ、何百世代の間で無傷で受け継がれていくならば、今日生きている個々の人間は、発掘された土器や青銅の短剣と同じくらい頼りになる証人になる筈と信じて疑わなかった。(こ
うした主張は一般にはピンとにわかには、理解しにくいようだった)

2009年11月29日日曜日

先祖は皆同じ?



おはようございます。
細川佳代子さんの「花も花なれ、人も人なれ」という書籍から。
高田好胤先生から言われたこと:25代前で遡ると、あなたの先祖は何人になるか知っていますか?
一番身近な先祖は父と母で2人、2代前は4人、3代前は8人。次々数えていぃと25代前は、もう数しかわからないが、三千三百五十五万四千四百三十二人になるという。
司馬遼太郎さんが細川護煕家の菩提寺を案内されて驚いたのは、「夫婦が仲良く同じ大きさで並んでいる御墓は見たことがない」(直江兼続もそうだそうですね)とおっしゃった。江戸の初期に男女平等で仲良く並んでいる藩主のお墓はみたことがないということだそうです。
「細川家の歴史は南北朝から始まって室町、戦国、そして江戸、明治、と世の中がぐるぐる変わって戦が激しい時代に、よくもまぁ生き残りましたね」とおっしゃった。武将の家で細川家より長生きしている家は鹿児島の島津家だけである。外様大名だった加藤清正は熊本城主だったが、改易にあって2代で消えてなくなっている。
ところで「細川家には何かこのように家を存続させるための代々申し送られた特別な教えがあったんでしょうか」とお聞きになった。父は「それは家来に恵まれたからです」と答えた。間髪をいれずに、「細川先生、よい家来を育てるのがトップの一番大切な役割ですね」
それから父に教わったのは、細川家は文武両道の家、これは際立っていたそうで、このことが大名の中でも細川家が一目置かれたことと、文を大事にすることは情報収集にも力を入れてきたことを意味するそうです。