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2010年2月5日金曜日

善意の怖さ



おはようございます。私には経験がないのですが、地位の高い方にとっては、有難迷惑より一段上の善意の怖さというのがあることがわかりました。

社長の顔が見たい:曾野綾子より
ローマ教皇ヨハネパウロ2世が生前故郷のポーランドへか帰られた。両親と兄弟の墓参りのためであった。父母の墓の前まで来た教皇がもはや車から降りることができなかった。車n周囲にびっしり人がいた。墓がどこにあるのか、地名も書留られず、地図も手元になかった。しかし、そこには地元の人々がびっしりと墓を取り囲むようにして立っていた。市長か村長、村の教会の神父たち、村の顔役、近くにある女子修道院のシスターたち。皆善意に溢れた人ばかりだ。教皇がこの田舎町とゆかりのあることを光栄に思い、教皇を人目見たくて、盛装してやって来た人だろう。
しかし教皇が本当に久しぶりに、父母の墓をじっと見つめた時、墓の後ろには子どもたちの一団がいて、歌を歌った。もちろん慰霊の歌だろう。しかし教皇は無言の輝くような沈黙の中にしみ透る親子の会話が奪われた。なぜ歌なんか歌ったのか。なぜ教皇を、風と野の草だけが立ち会う野辺の語らいの中において上げ、彼らはその場を去らなかったのか。
教皇には自分の時間がなくても仕方がない。「子どもたちが両親のために歌を歌ってくれた優しさをお喜びになったでしょうよ。あなたはそう感じられない?」と言った人もいたが、私には感じられない。死、親子の思いは、個人のものに還してあげたかった。悪意は拒否できるが、善意は拒否する理由がないからだ。だから曽野さんはは悪意のよりも人よりも善意の人が怖いのだそうです。

2009年12月23日水曜日

鍋は底を洗います


おはようございます。昨日は冬至だったので今日からは日が長くなっていくので嬉しいです。
たまに皿洗いなどすると、ご飯粒が残っていたり、脂が落ちきれていない場合もあって、ピカピカしてキュッキュッと鳴ると気持ちがよいものです。
大石静:ニッポンの横顔:NHKの朝のドラマ「ふたりっ子」の脚本家・作家より
大石さんは養女だったが駿台荘という旅館の娘であった。有名な作家が出版社からの依頼でカンズメにされている宿屋でもあった。この旅館の板前Yさんは厳しい人で、怒鳴り声が調理場で飛び交っていた。習うより盗めという厳しい徒弟制度が生きていた時代のことである。そこで鍛えられたMさんが出した店で学生時代にアルバイトをした。これは義母の気遣いでした仕事であった。皿洗いの仕事だった。
今も忘れないことがあった。ある日洗いものを終えて帰ろうとしたら、Mさんが「静ちゃん、鍋がちゃんと洗えてないよ」というのだ。
「すいません」と詫びながら、その鍋を洗い直そうと思ったが、鍋はピカピカだ。するとMさんは鍋の底をひっくり返して、小さなほくろくらいの焦げあとを指差し、「鍋は、底をまずきれいにしないといけないんだ。いくら側面がピカピカでも、底に小さな焦げ目がひとつあったら、煮炊きするとき、火加減が均等に伝わらない。鍋は底が一番大事なんだよ」と教えてくれた。最近は仕事も忙しく,家事とは縁遠いが、たまに洗いものをすると、鍋の底だけは徹底的にきれいにする。

2009年12月5日土曜日

「男の可愛げ」


田辺聖子さんがいっています。
世の母親、ことに男の子をもつ母親に私がいいつづけているのは、〈どうぞ、女に可愛がられる男に育ててください〉

日本の男だって、生まれた時から可愛げがないわけではなく、日本の男の子教育が悪いのだと思う。日本ではなぜか男の可愛げを抹殺するようなところがある。男の可愛げにこだわるのは、どうも私の場合、祖父の記憶があるからではないかと思われる。口やかましくわがままで尊大でシャベリでワルクチ好きの祖父が、あんがいドジで、女たちに叱られたりしている。そういう反応を女たちから引き出す可愛げがどこか祖父にあったのだということでした。

2009年11月19日木曜日

食べる順序とおいしさの矛盾



おはようございます。下記のような体験は今後もないでしょうが、耳体験してもよくわかりませんでした。
日日雑記:武田百合子(武田泰淳氏の奥さん)全作品の7から:
味のないきしめんのあとに、甘いおいなりさんを食べて気をよくする。そこまではいいのです。きしめんがさめるといけないから、まずきしめんを食べるでしょう。次にさめても大丈夫なおいなりさんを食べる。そういう順序で進んでいって、おいなりさんの次にコーヒーを飲む。おいなりさんのあとにコーヒー、この瞬間の口中の凄さ、そんなことなんでもないやと、やったことのない人は思うでしょう。しかし、そうではないのです。おいなりさんを食べたあとにコーヒーを飲んでみたことのある人でなくては分からないのです。何というかオエッとなる凄さ。内の飼い猫の玉が大嫌いなへんなものの匂いを嗅いでしまったときの世にもいやな顔をする。あの顔になってしまうのです。

2009年11月18日水曜日

富士山麓の生活


おはようございます。

また一段と冬に近づき、ドウダンの葉も真っ赤に染まっています。
温度の上下が激しく、電車内の服装も女性はさすがに冬モードになっていますが、男性の場合は厚着・薄着とばらばらでです。
お茶も熱めにして身体をあたためるようにしています。

日日雑記:武田百合子※(武田泰淳氏の奥さん)全作品の7から:※http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E7%99%BE%E5%90%88%E5%AD%90

富士の北麓に山小屋に住んでいる。
草刈りのあと焚火をしていると、トガワさんくる。松の間から煙が見えたのできてみたという。この山小屋を作ったときの石工事をしてくれた石屋の社長さんである。胸に上等な金のボールペンを2本さしている。景気はどうかと、訊ねると、あんまりよくねえと言った。高血圧の薬を毎日のんでいるのだそうだ。これから山の工事場を3か所まわらなくてはならないと言いながら、お茶を3杯飲む。
商売は如何ですかと聞くと答えてくれました。荒収入から、人件費30%、機械などの設備投資50%、引いた残り20%が純利益。そのうちから交際費を引いたのがおらの収入。いっこうに貯まらないから、髭の濃い顔をこすって笑う。
今日は西の空をみて昼過ぎ2時頃から、雨が降るでしょう。トガワさんは立ち上がり、ズボンのバンドを締め直し、「東京の生活は賑やかだに。一人じゃ怖いことないかね。田舎のものでも、山は一人じゃ嫌がるに。夜はテレビでも見てるのですか」と、西の空を見い見い、言う。二階のこうもりと階下の部屋にくるむささびの話をすると、トガワさんはじっときいていてから、「いかなる動物も怖いということはねえです。いかなる動物よりも人間の方が怖いです」とおもむろに哲学者のように言った。雨はこず、そのまま夜になった。

2009年11月16日月曜日

かもかの人



おはようございます。6時15分になると、暗さから抜け出しての朝です。
「iメールから」:
田辺聖子さんの旦那はおおらかなな人でした。奄美大島の出身だそうです。

もう自分の子供(彼と前妻の間の子供なのですが、)になっているのだが、
が昭和四〇年代の学園紛争真っ盛りで、マネゴトで”ベトナム戦争反対”の
ビラを校舎中の窓にはったので、学校から呼び出しがあった。〈貼らせてください〉というのが彼の返事。別の高校からも呼び出しがあり、憤然として出かけたが間もなく帰ってくる。〈おや、今日のお説教は早かったですね〉というと〈考えたら今日は阪神・巨人のデーゲームや。学校なんて行っとれるかい〉〈あらア、ハシカみたいなもんじゃ〉といっていた。
彼は医者で、当時はやったジョギングにも反対であった。階段二段あがりもおそろしい、というそして、いちばん心得べきは「面白疲れだという。人は面白いことをしているとき、つい疲労を忘れてしまう。彼にもそれは(いえてるな)と、私も今にして思うが「面白疲れ」が重なったのだと思う。
私はうちのぬいぐるみのチビがいたずらを」して困ると、彼にいいつける。彼はそばのソファに座らされている、小型スヌーピーのぬいぐるみの”チビ”に向かって〈こら、」チビ〉と「しかってくれる。ーーーこれが」可愛い。お芝居こころのある男だ。

2009年11月14日土曜日

武田百合子さんの「いたずら好き」



おはようございます。私たちの住宅地は袋小路ですが、入口のところは都道です。
もう1週間になりますが、鍵をつけたままの自転車が乗り捨ててあります。どういう理由なのか気になります。

日日雑記:武田百合子※(武田泰淳氏の奥さん)全作品の7から:
※http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E7%99%BE%E5%90%88%E5%AD%90
赤瀬川原平さんの百合子さんの紹介によると、「ナマコをはじめて食べた人間が書いたような文章をかく」だそうです。エイリアンとは違う。宇宙の人という感じである。
畳の部屋での対談だった。2人の横からカメラが構えられていた。目の前で百合子さんが座布団に座っていて、座り直した。そのときぱらぱらと脚が見えて、座り直してからスカートの裾をちゃんと正して脚を隠すわけだが、そのときぼくは不覚にもその脚に
視線をやってしまった。非常に困るのですが、動くものに目がゆくのは自然で、その視線が男の目になっていたのか、自分でも非常に気になる。とくに「路上観察」をやるようになってからはそうだ。そうしたら百合子さんもやっぱり、その視線にあれあれ?と思ったのか、対談しながらぼくの顔をじっとみている。顔というより僕の視線の動きをじーっと見ながら、こんどはそれとなく、スカートの裾に手をやってそうっと動かしたりするのだ。僕は蛙みいたな気持ちになった。板の上で皮を剥がれて、筋肉のところをピンセットでそうっとつままれている。それで目玉がどう動くのかじーっとのぞかれている。百合子さんに観察されているのだ。対談しながらそっちのほうが面白くて、口では対談しながらそんなことをしているのだ。百合子さんはそういうワルサが好きなのだ。

2009年11月12日木曜日

父のおおらかさ



おはようございます。私の場合は父が早くなくなったので、これという思い出はない。下記のような話を読むといいなあと思う。

あるとき私は文房具屋で何かを買った。家に帰ってから気にいらなくなった。返品しようと思ったが自分で行くのは具合悪く、これを妹に行かせた。私はなかなかにズルい子だったのである。妹は何心もなく帰ってきて、〈お金返すのはナンやから、ほかのん買うてください、いいはったから、ウチの好きな下敷きに替えてもろたしイ〉といい、私は腹を立てて、妹といさかいになった。

 父がどうしたのかと聞く。私がそのいきさつを父には話したくなかったのは、どこか、うしろめたい気があったからであろう。妹は無邪気にしゃべってしまう。父はゆっくり妹の話相手になってやり、私に向かって、おだやかにいった。〈モノ返す、ちゅうようなときには、自分で行かな、あかんナー〉母に叱られる時は逃げ場もなく追いつめられるので、かえって反発を誘い出されてるが、父がいうと、小学生の私はそれなりに反省してうなだれるのであった。
 
父のは小言というより、世間話のついでというような口振りがあって、子供のプライドはも傷つけられないでよかった。父は母とおんなじことを重ねてしかる、ということはしなかったようだ。しかし私は、父が黙っているのがかえって怖かった。何もいわないのは叱られたも同じことで、私はしょげてしまうのであった。そうして、いつのまにか、コセコセと小さいことはいわないが、大きいところで〈オ父チャンが見通してはる〉と思うようになった。
iメール:田辺聖子著より

2009年11月11日水曜日

母親の強さ


おはようございます。昨日は植木屋さんに、10年前もなった植木の剪定をお願いした。お陰でずいぶん明るくなりました。
剪定の間、車の場所をファミレスに移動し、朝の食事もそこだった。朝の利用は初めて、60歳代の夫婦、60歳代の男性が一人で
3卓でした。テーブルがひろびろで、朝の光のなかでよいものでした。

田辺聖子著:iメール:世界文化社より

独身の女の物書はお袋に雑用を任せて、奥さん代わりに使うのが一番便利なのだ。
つながりがとても強固だったお袋に結婚の相談して反対されると、してもよい気になった(再婚で3人の子連れの医師で、亡くなった奥さんは親しい友人であった。彼の魅力と3人の子供の寂しそうな愛らしさにほだされて)。夫をとったのは、夫との生活の方が「展望」がきくし、オモシロそうだったから。そのへんからお袋コンプレックスを脱しはじめていたのだろう。
母との密着は母子家庭で、終戦のトシの12月にが死んで以来、敗戦後の混乱時代を40になるやならずのお袋が3人の子供を育ててくれたからである。大変な時代だから、かえって生きのびられた。闇市で焼け残りの着物を売ろうが、ぼろおを着ていもの買い出しにいこうが、誰もわらうものはない。女親はきりつめて節倹できたし、男なら家の外に
息抜きもほしかったろし、酒・たばこなどのささやかな慰めも要ったろう。しかし女は子供たちと、壊れかかったラジオでも聞いて笑っていれば、たやすく充足できるのだ。男はそんなわけにはいかない。
そんな訳で無一物、女所帯で、やりくりしつつ、私たちはお袋に学校をだしてもらい、つぎつぎに勤めにでるようになった。人生は綱渡りの連続ではあるが、このときはよく渡りきったとつくづく思う。
私のお袋だけでなく、あの大戦で、夫を戦死させたり、空襲で失ったしたあの当時の妻たち、何十万何百万の女たちが、きっとそうやって生き延び、子供を一人前にしてきたのだろう。本当に母というものは強いものである。これがあべがあべこべに、妻が死に、夫たちが子供を育ててゆかねばならないとしたら、それだけの底力を発揮して綱渡りができたろうか、私は大いに疑わしいと思わざるを得ない。