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2009年12月25日金曜日

日本サッカーの現実


おはようございます。民主党が「コンクリートから人へ」の予算案 ~医療も冬の時代から春の時代へ~などとうまいことを言っています。

日本サッカーの置かれいる状況を知るにはそれ相当の苦労が要ります。点が入ればよいのだが位しか見方を知りませんが、なかなか厳しいということは
分かります。杉山直樹のブログ:http://blog.livedoor.jp/sugicc402/からの引用です。


抽選結果は日本にとって厳しいものになった。
英国の大手ブックメーカー、
ウイリアムヒル社の予想によれば、
オランダがE組を突破する倍率は1.5倍。
カメルーン3倍。デンマーク5倍。日本8倍。
32チームのトータルな人気でも、日本は抽選の後、
25番人気から27番人気タイへと順位を下げている。
日本が厳しい組に入ったと判断したからに他ならない。
(1/8の方が理解しやすいように思いますが)

特に、3番手に位置するデンマークが、
サッカーの質的に最も戦いにくい相手だということが、
日本の突破の可能性をいっそう低くしている。
サッカー場を幅広くダイナミックかつ綺麗に使ってくるチームに、
中に固まりがちな日本はめっぽう弱い。
対戦する前から、ピッチに描かれるデザインが予想できてしまうのだ。

とはいえ、どの組に入っても状況は似たりよったり。
「5倍」以内で済む組はない。
星勘定ができそうな組は見当たらない。
日本が置かれたポジションを再認識させられた恰好だ。

それでも、「アゲアゲ報道」は後を絶たないだろう。
日本に都合が良さそうな材料を引っ張り出し、
「行ける!」「大丈夫!」と、
これでもかと可能性を煽るのが、いつものやり方。
実際、今回も「オランダとは9月に一度対戦しているので、
戦い方は分かっている、やりにくい相手ではない」なんて声が、
早くも耳に入ってくる。った。


そうした意味では両者イーブンの関係になるが、
日本が弱者でオランダが強者であることを忘れてはならない。
弱者には本来、強者からマークされにくいメリットがある。
それが今回の日本にはない。
強者が本来、知らなくてもいい情報を、オランダはもち合わせている。
オランダのファンマルヴァイク監督にも、抽選会後「日本は侮れない存在。
3-0で勝っているが、スコアほどの開きはなかった」と、
謙虚なコメントを吐かせてしまっている。
強者にあるはずの油断が、今回のオランダにはない。

これに代表されるように、日本には自分中心の考え方が横行する癖がある。
島国根性をむき出しに、ワールドカップという世界最大の戦いに臨もうとする。
それこそが、日本サッカーが伸び悩む最大の原因だと僕は思う。
ワールドワイドな視点、世界を俯瞰で眺めようとする姿勢が望まれるとのこと。

2009年12月22日火曜日

サッカーの人生哲学②



沢田耕太郎のサッカーの本を読んで以来、いまの内6月のワールドカップが始まる前に、冷静な目を養っておこうと勉強しています。しかしこんな単純でありながら難しいものはないことも分かってきました。

イビチャ・オシム著・長束恭行訳「日本人よ!」より

●肉体的には欧米と比べるとハンディキャップがある。
●日本人のプレス※・流動性は大変見事、「日本人のマークをはずすことはできない。いつも君のとなりに一人いるからね」と外国人の噂になっている。
●自分の頭で考えることと責任:
日本という国は規律やルールがあるからこそ、すべてがうまく機能している。つまり自分の頭をあまり使うことなく、規律やルールを重視して行動しているからこそ「アナーキー」な状態とはほど遠い国となっているのだ。それはとても尊重すべきことではある。しかしロボットではいけない。
「日本人は疫病から逃れるかのように責任を逃れる。これはオシムさんだけでなく、日本サッカーに詳しい誰もが語っている。この問題はおそらく日本の教育、学校システムにまつわる事柄だから。常に上にいる誰かの責任を負う、サッカーではこの仕組みが必ずしもそうではないのだ。日本の教育は長年に渡って罰を与え来たシステムにあるとオシムさんは考えた。どんな小さなミスでも罰せられると考え始めた瞬間に、人は罰せられないようにするために何もトライしなくなる。しかしサッカーはトライとミスなしでは進歩することはできないのだ。サッカーは自分に関するすべての責任を負うものなのだ。
責任の為の責任はミスの温床となる。どんな場面でも責任感を持ってしまうのも問題がある。だから、どうやって動くべきか、どこで何をすべきか、なぜそうするのかを知らなければならない。それを知ることが本当の責任であると。
責任感に限界を作ってしまうのも問題。誰もが限界以上のやろうとはしないのだ。これが自分のノルマだと考え、そのノルマを満たしただけで、他の事は誰かが引き受ければいいと考えている。自分の守備範囲はセンターラインまでだからと限っても、それでボールが奪われてそれでゴールを奪われたらしたら
日本で起こる多くの出来事は、日本人そのものの生き方や伝統、文化と無縁ではない。地震や洪水、洪水、交通事故等誰一人望まない不幸が起こっている。そこで日本人は多くを語らないが、彼らの表情や仕草からは滲みでている。日常生活でなら問題ないが、サッカーではそうはいかない。ある選手が味方選手に「気をつけろ、背後だ!」と叫ばなかったとする。その選手は自分の背後に迫る相手選手に気づかずに、それで終わりだ。敵のゴールになってしまう。
●「人に何かを言うことを、日本人の誰もが好まない」ということがコミュニュケーション不足の原因ではなかろうか。要するに誰もが表立って人に命令することを、日本人のだれもが好まないのだ。
※相手選手がボール持っているときに自由にプレイをさせないようにチェックをしに行くこと。プレスを厳しくすればするほどボールを持った相手選手は自由を奪われるためパスミスをしたりキープできなくなり、ボールを奪える確立があがる。

2009年12月21日月曜日

サッカーの人生哲学①


おはようございます。自転車にのると、頬の辺りが寒いが、口の中にも冷たい空気が流れてこんできて、喉の奥までつめたくなるような昨日でした。
イビチャ・オシム著・長束恭行訳「日本人よ!」より
人生で起こりうるすべては、サッカーの中に集約されている。
選手がプロとしてサッカーをプレイできるのはせいぜい5、6年運がよいものは10年暗いかもしれない。そのわずか10年の間のサッカーで、その選手は一生涯にとっても十分すぎるほどの出来事を経験うるかもしれない。一週間に一度サッカーをするなら、毎週のように、歓喜、悲劇、絶頂、ストレス、成功、失敗、栄光、挫折、勝利、敗北等を経験するのだ。
「今の日本人が勤勉であるかどうかは疑問だ。現在日本人は非常に高い生活水準を今の人々享受しているだけではないか」10から12時間働くことが勤勉であるという意味ではない。12時間オフィスに座っているより、1時間だけ勤勉に働いていた方が良いって時もある」とかたった。
「日本人は伝統的に責任を他人に投げてしまう。工場ならそれでも機能するかもしれない。けれどもサッカーでは上司も労働者も全員が一緒にいるわけだから。
日本は明治以来国際化の模倣を続けてきて成功してきた。サッカーの場合スペインのバルセロナに必死になろうとしてもそれはコピーにすぎない。しかしそれよりもまず自分たちの力を客観的にみてが、自分たちに何が本当に何ができるのかを先に知らねばならない。これはさらにずっと先まで続いていく課題かもしれないが、自分たちにできることがあるならば、それをもっと発展させるよう努めるこ。そしてそれを誇りにもつ事が大事。

2009年11月22日日曜日

野球は難しいから


おはようございます。昨日は芝久保公民館祭りの1日目は「カミカラ」という中村開己(なかむらはるき)さんの躍動する紙細工http://www.geocities.jp/kamikara1967/、今後の成長株の人です。
、今日は2日目メインイベントのそうらん踊りhttp://www.woopie.jp/video/watch/6fb993d5e7f040eaで当面雨が心配。昨年も同じような心配をしたが、そのタイムだけ晴れました。多少の雨でも頑張りますといっていますが・・・。

Jリーグが開幕したのは1993年のことだがその前後に劇的に変化したことがひとつあった。少年野球チームと少年サッカーチームの数が逆転したのだ。かつて、日本においてはどこの町にいっても少年野球チームがあった。数においては、サッカーチームとは問題に
ならないくらい差があったのが、その時期を境に逆転されてしまったのだ。夏の甲子園の中継などを見ていると、まだまだ野球も根強い人気があるように思えるが、野球を始める少年とサッカーを始める少年の数に差が付いている以上、未来における勝負はすでについているといえる。ではどうしてサッカーチームが増えて、野球チームが少なくなったのか。テレビ番組によればサッカーをやっている少年たちにインタヴューすると、その答えはユニフォームの格好が悪さでもなければ、先輩後輩の上下関係の厳しさでもなければ、なんと最も多かったのは「野球はルールが難しいから」というものだった。
WORLD CUP杯:沢木耕太郎より