2009年10月14日水曜日

河童を本名にできた!!


おはようございます。年金の毎年の確認などで記入しても、もう自分の名前について少しの疑問ももたないようになりました。子供の頃はどうしてこういう名前にしたんだろうと時折考えたこともありました。
改名

妹尾河童さんの名前は本名である。
幼名は肇。それが仕事はデザインや舞台美術ですから、作家ではないのでペンネームは不要だった。しかし誰も本名を呼ぶ人もなく、あだ名でしか呼んでくれない。また居候先であったオペラで有名な藤原義江さんがことわりもなく、ポスターに美術妹尾河童とかくに及んで、それが通例になった。
そういう長い経過があってで戸籍法の第107条に『正当な事由があれば変更できる』とかいてあるのをみて家庭裁判所に改名の手続きにいった。ところが審判官は『この法の精神は珍奇な名で苦しんでいる人を救済するためにあるもので、その逆のような例はないからダメです』と不機嫌な顔でいい、『どうしてもというのなら、なぜ改名を思い立ったかのかという”上申書”を提出しなさい』と教えてくれました。
それを読んだ審判官が驚いたり、妙に感心したりして、ついに改名を許可してくれたそうです。
この名前で困ったのは:電話だと『せのおかっぱ』と『へのかっぱ』に聞こえるらしく、笑って取り合ってくれないことがありましたね。
ところで河童さんの自分のお子さんはどんな名前ですか?「実は河童にちかい『河太郎(がたろう)』を考えたこともあった」のだが、冗談を排除し慎重を期した。
そこで36人の友人に投票用紙を配って、男の名前と女の名前を書いてもらいました。”名前は人間を識別するためのもの、読みやすく、明解な名前を”と頼んだら、一番多かったのが『太郎』でした。男の子名ので迷うことなく『太郎』にしました。彼が小学生の頃、掃除機や餅つき器など、やたら『太郎』とネーミングされた商品が売りだされて、傷ついたこともあったようでしたが、今は友達に『親父の名前が”河童”で、息子の名前が投票で決まった”太郎”か。お前、遊ばれたんだよ』とからかわれと苦笑しています。

河童の手の内幕の内;妹尾河童著より

2009年10月13日火曜日

鯨近づくまで待つ。


おはようございます。
ザトウ鯨を追う。
昨日で5日目で風邪で肩は凝るし、ちょっと寒気がしたりで不調なので、ベッドでNHKのBS放送をみていたら、
新田末広※(水中映像作家)がトンガ王国のババウ諸島まで1月間の撮影旅行の記録だった。
いままでと違うのは、ホエールウオッチングとは違い、どうやって鯨に近づくことができたかと
いう点が一緒に撮影したような気分だった。

※http://plaza.rakuten.co.jp/seacam/

ここの鯨はザトウ鯨で10mの大きさであった。ここの海は波もなく、あたたかく子育てと愛のシーンの場だそうです。
母は授乳させているが、ここでは一切食事はしないで、北の海でオキアミなどで十分栄養を蓄えているのだそうです。しかしここには珊瑚礁があり、海のオアシスで熱帯魚など豊富な場所である。
しばらく鯨をおいながら観察していた。先ず海に入り、酸素タンクを背負ったアクアラングはつけない、これをつけると、泡などが沢山でるので、鯨をオドカスことになるので、スノーケルと水中カメラしか持っていかない。
大分手前から、様子を探りながら、本当に抜き足差し足よりももっとゆっくりと近づく。
しかし母子の2頭は最初は敬遠気味で、逃げられた。とても鯨の逃足には追いつくことはできない。

若い雌を巡って雄は巨体を激しくぶつけあいながら順番を決める。これに勝ったものが雌への優位を得るということであった。
その他、他の雄と競い合うのではなく、母子の2頭に、妙な声を出してエスコートという13mもの雄が付け回している。エスコートは又の交尾のチャンスを狙っている。このエスコート役が母子の2頭と新田さんの間に入って、尾びれで海面を叩いて新田さんを威嚇して追い払おうとする。尾でたたかれたら、コッパミジンです。

交尾後の出産は1年後で、2・3年に1回出産するという。この母を負う最初の雄は後続の雄に泡で幕を張って行く手をぼかしたり、急に進路の角度を変えたりする。
何回かの挑戦後、ある日にこのエスコート役がいないときにだった。

母子の2頭が先方から近ずいてきた。母は鼻さきに子供をのせ、子どもはお腹を上にして、遊びだした。
何回か出あっていると、こちらも危険な相手じゃないことで、親密感が生まれてきていたようだ、
撮影するにも、わずか1mもの距離の親密さだった。

鯨の出産シーンを撮影したかったが、お腹の大きなメスは見つけられなかった。出産後に赤ちゃん鯨が生まれて最初の海面上での呼吸のシーンも期待したが同じくだめだった。(これは推測では鼻先にのせて海面に押し出すのではと想像していた。)
もう1月の予定の終わりに数日残して、トンガの北のトク島に3頭の鯨が浮いたり沈んだり、立ち泳ぎしている、けしてトラブルの様子でもなく、ガイドの人もこのような行動の意味がわからない。もう1頭加わって4頭になり、やがて2頭づつ別べつの方向にいった。マッコウ鯨は群れをつくるが、ざとう鯨の場合はハナレバナレの行動をするが、仲間意識の確認の行動だろうということだったが、2頭づつに分かれてので、別の意味もあるのだろうか。
またの楽しみを残してこの島を後にした。

2009年10月12日月曜日

有馬という地理図師


おはようございます。知り合いの土浦市の家ではなんとか無事だったようです。土浦市というか茨城県で台風の被害は考えてみなかったことでした。

「全国地図測量史跡」紹介
山口県立山口博物館(防長土図所蔵)

河童さんの本で近代地図の先駆者で知られる伊能忠孝より100年もまえにいたことが分かった人の名前は有馬喜惣太、絵描きの才能だけでなく、測量技術も身につけていた。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaempfer/mapsuv200/shiseki/tyugo/ty6.htm
http://web.pref.hyogo.jp/contents/000123140.pdf
山口県立山口博物館には、明和 4年(1767)に萩藩郡方地理図師有馬喜惣太によって作成された「防長土図」が所蔵されている。
 現存する「防長土図」は、15の「切」と呼ばれる部分に分けられた本土と大島、豊前・筑前国の計17切及び周辺の島々の92個からなり、粘土で土形を作りその上に厚手の和紙を何枚も張り重ね、乾燥後に土型を抜き取る方法で作成され、杉材でできた「土図長持」に納められている。
 地形表現は、地形の起伏を表すとともに、海・砂地・山地・平野部・耕地に色分けされ集落や神社などの目標物も図示されている。また、地図記号も使用されており、集落は黒丸、寺院は黒▲、神社は朱の■、その他の諸施設は朱の■■で、国境は、==村境は、--といった表現をしている。
 地名も国・郡・支藩名から、村名、字名、神社名まで記入されている。それぞれの「切」は、その境と関係なく接合・組立がしやすい直線で切られていることから、国全体を鳥瞰するために作成されたと想像されるが、明らかな目的は分からない。
 
 (有馬喜惣太)
 土図を作成した有馬喜惣太(ありまきそうた 1708- 1769)は、長門国阿武郡生雲村に生まれ、御用絵師の雲谷等達の弟子として修行し、元文2 年(1737)に藩が進めていた村絵図作成の絵図方雇いとなった。
 宝暦 4年(1754)村絵図の完成を見たが、有馬はそれまでに絵図師としての技量を高め、引き続き絵図方として藩に勤め、宝暦12年には藩士(郡方地理図師)に登用された。
 有馬は、この村絵図「一村限明細絵図」のほか、道中絵図の「御国廻御行程記」や「萩大絵図」などを作成した。

2009年10月11日日曜日

タタラの伝承


おはようございます。太陽光を蓄えて、夕方になると、庭先の街灯の役目を果たす。帰宅したときに、玄関先が明るいのはとても気持ちがよいものです。

最近はこの河童さんにご執心です。いろんなことに興味をもって調べ、その絵が舞台監督の本職の経験から、手書きと、その横の説明がとても詳細です。
余りにも詳細で実物を見に行かなくとも満足してしまいそうです。

「河童さんが見たがっていたタタラの炎がもうすぐ見えますよ。いい時期にいらっしゃいましたね。年中操業しているわけではなくて、1月にたった3回行われるだけなんです。」
古来の技法によって玉鋼を作っている「日刀保(日本美術刀剣保存会)タタラ」である。
木炭を燃やす昔通りの炉で、砂鉄から製鉄しているのは日本でここだけ。日立金属の系列の「株式会社鳥上木炭銑工場」の建物の一棟である。
国庫の補助を受けて一時期途絶えた古来のタタラと同じ製法を復元した。
目に飛び込んできたのは赤々と踊り狂っているタタラの神秘的な炎であった。ここには国の「村下(むらげ)とよばれる選定保存技術保存者今年87歳の安部由蔵さんと52歳の木原明さんの2人だけ。この二人の腕次第で玉鋼がとれるか、とれないかが決まる。この方法でしか純度の高い玉鋼を生産することができないからだそうだ。現在のもっとも進歩した溶鉱炉で、科学的のとらえたデーターを駆使しても、現在のところでは不可能だという。まさに神々の火を見る思いがした。
河童の手の内幕の内;妹尾河童著より
菅谷タタラ:http://hotken.blog.so-net.ne.jp/2008-12-17
現在の状況:http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1201319826/

踏鞴(脚で踏むフイゴ)
を踏む
 たたらをふんで空気を送る。
 勢い込んで打ちまたは突いた的がはずれたため、力があまって、から足を踏む。

2009年10月10日土曜日

本を訪ねて北の果て


おはようございます。道路の両端には台風で落ちた木の葉が沢山溜まっています。ときどき風にあおられてカラカラと走っていきます。

週刊文春から企画を頼まれて、妹尾河童さんが書籍の流通探訪で北海道まで出かけた。
最北端の稚内まで、浮間ターミナルでコンテナに積んだものを東京からフェリーで北海道の苫小牧まで30時間かけて、苫小牧から陸路となる。
日本の出版社は約4200社、書店は約13000店でこれに書店ではないが、雑誌やコミックだけおいている店をいれて3万店になるそうです。平均1日に書籍が290万冊、月刊誌が569万冊、週刊誌が437万冊、合計1300万冊の点数が送りだされる。この取次業務にはかかせないので、東販などがある。
稚内分は日曜日ともなると、運送量が倍になり5トン。一度旭川で下され、網走、紋別、留萌、北見、稚内に分別される。
流通過程の出版物の代金は目方で決まる。出版物とは紙の重さであり、内容や単価とは無関係なのであるということでドキンとしたそうです。
小型店では実績がないと希望の本5冊を注文してもやっと1冊しかに応じてもらえないこともあるようです。注文して25日もかかるそうです。
稚内の9軒の最後に訪ねた「クラーク書店」で書棚をみて驚いたのは、「小説」「ノンフィクション」「国文学」「人文科学」「歴史」「評論」などなどのカタイ本がずらり並んでいた。店は45坪もあるそうですが、東京の同じ規模の本屋さんでも、これほどの品揃えはない。
思わずきいてみたのは「売れていますか」「売れていますよ。売れないと店がつぶれますから」との返事、ここは去年の8月に開店したばかりという。開店のとき、書籍は売れないから、雑誌やコミックに比重を置かないと危険だ」と忠告もうけたが、しかし「書籍は札幌や旭川どまりで、他の地域では揃っていないので、札幌や旭川に行った時、まるで飢えを癒すかのように何万円も買って帰ったりしていたんですから・・・同じような人たちが、いまこの店で買って下さっているわけです。」この頑張りを聞いて北海道の寒さも忘れて帰ってきたそうです。
河童の手の内幕の内;妹尾河童著より  

2009年10月9日金曜日

オウムの一面


おはようございます。こんどの台風の凄まじさといったらないですね。暴れまわって、蹴散らして去っていきました。皆さんのところは何事もなかったですか?

新屈せざる者たちより:辺見庸との対談より

辺見庸:初公判の時に麻原をみて、実に普通だと思ったんですね。ほとんど無感動にしゃべりますもんね。言葉に情念、肉感性がないといいますか(こういうところが教祖にあうというよりも、故意にこのような雰囲気になったのか?)被告人の声が一番肉感的だった。初公判のときに、浅原を見て、実は普通だなと思ったんですよ。普通ぐらい怖いことはないという意味なんですけど。同時に、これは半端じゃない、いい玉だなと思ったんですね。被告人は大抵は、情状を期待して殊勝にしてみたり、自分がびびっていないことを強調したりしますね。ですから、浅原というのは、私には分からなかったですね。彼が一番「東洋の暗さ」を体内に持っているのかもしれない。
三島浩司※:中国の話でいうと、皇帝は自分で何でも決定する。しかし日本の帝の場合は仕事をしたらあかんのですね。父性的な面と母性的面の両方巧みに持っていないと多くの人を引き付けることは出来ない。浅原は弟子たちを手足のように動かしたというような、そうでもないような、」つまり下の人は、好きな人がこうしてほしいと思うことを、率先してやってしまうという構造があったんやないかなと思うんです。
辺見:オウムというの日本の社会なのじゃないか。主体のない空気というか、何となく全体がそういうふうな雰囲気を醸し出して、それに皆が乗り、最終的にどこにも責任のない意志決定が行われるということがしばしば行われるということがしばしばある。だから、誰が主犯っているのかなと。
「東洋の暗さ」そのもの世間様はいま、麻原が全部指示したんだという構図をとにかくつくりたがっていると思うんです。そして、それをもって極刑の理由にしたい。これがマスコミを含む世間の、かなりすさんだ無意識だとおもうんですよ。いったいだれが決定したのかわからない形で結論がでて、行動指針が決定がなされていく、これを裁くのは難しいはずですね。
某大新聞の主張は罪状を認めろというだけのは話じゃないですか。裁判はお白州でいいんだと言っているにすぎない。新聞の不偏不党も司法の独立も、つきるところインチキだと教えたことぐらい。マスコミの本当の姿がみえたなということ。

※1941年大阪生まれ、早稲田大在学中の65年に都学連委員長として日韓条約反対闘争を指揮。卒業後弁護士、日本赤軍など過激派の公安事件を扱う。浅原彰晃被告らの弁護に従事。

2009年10月8日木曜日

アニメ作家の努力と作品群


おはようございます。台風の影響で窓に雨が打ちつけれ、ざわついています。

りんたろう:アニメ監督:(株)マッドハウスに所属【日本のアニメーション:その過去と未来】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8A%E3%82%93%E3%81%9F%E3%82%8D%E3%81%86
銀河鉄道999やメトロポリスにも関連;新作日仏『よなよなペンギン』12月のクリスマスに発表予定。http://yonapen.jp/index.html

「アニメ」という言葉も世界で知られている。
1960年には漫画映画がアニメーションに代わっている。
アニメーションは、アミニズムにも通じ、精霊主義であらゆるものに、生命が宿るという考え方です。
1964年にテレビで国産初の手塚治虫の「鉄腕アトム」は視聴率40から50%をマークし、銭湯には子供は誰もいないということすらあった。
やがてアジアにもONAIRされ→イタリア、スペイン、東欧にまで及んだ。フランスではこのアニメは子供らによい影響を与えないということで、当初はたたかれた。
しかしビジネスや商業上では注目された。テレビ用の東映動画では、スケジュールも予算もないないずくしのところで、アニメを制作しなければならなかった。手作業の多いアニメは通常3から4年で1本の必要とされていたときに、商業ベースではわずか1週間という破廉恥な仕事だった。
しかし各テレビ局もアニメを番組化するようになってきた。このテレビのアニメで相当に鍛えられた。納期、描く手段、費用の節約の極意を学びつつも、中身についての手抜きはないようでした。
しかし動かない絵が動くというだけで十分な効果だった。そうこうしている内に米国も日本のアニメ『ジャパニメーション』のアニメの技術も無視できない存在になった。
日本で銀河鉄道999や宇宙戦艦ヤマトが登場するにもおよんで、大人にも受け入れられる時代を迎えた。
米国においては『ターミネーター』や『エイエリアン2』、『トゥルーライズ』『タイタニック』
の監督ジェームス・キャメロンが注目したのは、日本人独特の味と緻密な描き方を絶対的に評価してどうしても依頼したいということで、15人もの関係者をいいなりの条件で招聘した。ところが関係者はこの緻密な技術を売り渡す人は誰もなく、全員帰国してきた。これは日本人のもっているDNAから出てくる表現があるが、すごく説明しずらいらしい。例えば日本独自の七福神についての表現に日本人の感性の違いを感じるらしいのです。

日本の浮世絵、油絵で出す量感や質感ようにはできないが、グラデーションでの濃淡や、浮世絵でのあり得ない構図・クローズアップによる強調によって表現する。
国芳による浮世絵は江戸時代のコミック本である黄表紙で活躍した人の絵もアニメの特長があらわれていた。

1970年代になると、PCが入ってきて、鉛筆から移行す、最初不便であったが、試行錯誤もあったが、どんどん新ソフトの便利さも登場してきた。幅が広がって、カメラを上下の操作して奥ゆきのある、動きもあるようにするに1日かかりであったのが、わずか数分でできるようにもなった。しかし、米国の場合は合理的にキャラクターに焦点をあて背景には省力化して描く表現をするが、日本においては背景にもリアル感を出すために、人海戦術もいとわない、高層ビルの窓ひとつ、ひとつもおろそかにしない。ビル街のシーンでひとつひとつのビルを150枚も描いて重ねて、奥ゆきをだし、ワンシーンで半年以上もかけたものもあるそうです。こういうことで緻密な表現をまとめあげていったものでしょうか。
対象的です。ここがわかりにくいのですが、PCで自動的に描いてくれるが、米国では1秒24コマ、日本では8コマで1コマに同じものを3枚つかう。PCはアクションシーンが得意、苦手は表情で鉛筆では表情がでるが、CGではそうはいかない。
また西欧では「間」の表現、や感情表現が不得意であるそうです。

【PC表現は米国ではデズニーでえた2次を捨てる、日本は2次も3次も併用】2次元コンピュータグラフィックス(2じげんコンピュータグラフィックス、2 Dimensional Computer Graphics, 2DCG)とは、一言で言うと「コンピュータを使って人間が描く絵」のことである。3次元の立体情報を与えることで「コンピュータに計算・写像させる絵」のことは3次元コンピュータグラフィックスとよぶ。


《日本のアニメーション作家》
・北山清太郎、:日本初のアニメーション作家
・下川凹夫、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E5%B7%9D%E5%87%B9%E5%A4%A9
・幸内純一http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E5%86%85%E7%B4%94%E4%B8%80
・政岡憲三、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E5%B2%A1%E6%86%B2%E4%B8%89
・大藤千代紙http://www.eibunren.or.jp/information/ohfuji-hyoden.html
現代になって
★手塚治虫:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%A1%9A%E6%B2%BB%E8%99%AB
★ちばてつや:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A1%E3%81%B0%E3%81%A6%E3%81%A4%E3%82%84
★松本零士作のSF漫画、『銀河鉄道999』は「あしたのジョー」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A1%E3%81%B0%E3%81%A6%E3%81%A4%E3%82%8
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★最近では米国のアカデミー賞の短編アニメ部門:加藤久仁監督http://ascii.jp/elem/000/000/211/211293/
「のつみきのいえ」、「或る旅人の日記」

★川本喜八郎:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E6%9C%AC%E5%96%9C%E5%85%AB%E9%83%8E

【非常識とも思える映画の表現】
米国でも、何十億粒をレタリングhttp://wiredvision.jp/news/200705/2007051122.html