2008年8月7日木曜日

レトロによる復活

写真は長内デザイン室からhttp://www.snowdome.net/exhibition/s/index1.html
2008.8.5:12ch:ガイアの夜明け
2年前にクラス会があって、「コテコテ」の大阪事情を案内するということで行ってみました。そのとき
大阪の道頓堀に昭和の町を復元して入場料もとって、昔懐かしい品々を売っていて、これに入場しているのは皆若い人ばかりでした。私はちょっと
このレトロには違和感を覚えたのですが、次の例があるのにはびっくりしました。
企画者はサンライズエンターテイメント社長久保浩:s34年品川商店街で生まれた:
レトロで町を活性化した例でいえば、お台場1丁目商店街なども彼の作品のようだ。4作品あるとのことである。:

帰りたい故郷をイメージする:
見本例3つ:
①志木ニュータウンの誕生は昭和46年3000戸1万人現在シャッターばかりは団地高齢化が主原因。
手塚トキコさんは75歳、食品の購入は生協の戸別配達で商店街にはゆかない。遠いお台場までは行けない。おじいちゃんやおばあちゃんが主役になることが活性化の条件→商店会会長の鈴木さんを訪問し、スーパーやデパートができないことを空き店舗を利用してやりましょう。駄菓子屋さんをやりましょう。昭和の人情は厚かったという・昭和レトロが懐かしい。男性ならここでビール一杯、ここにあの手塚さんが来店し、近所の孫と同年代の子供に相談してプレゼントを選定してもらい、お礼にもんじゃやきを御馳走する。久し振りに一人で食べることから解放された。次々に高齢者も訪れてきた。他の空き店舗では、ベーゴマ大会をやっている。これにはオジイチャンと子供等が参加した。

 ②千葉市にある総泉病院は認知症の診療で定評のある病院で、
70歳以上のかたがたに懐かしきは何かのアンケートをとった。女性の90%はおてだま、男性はおでん・飲み屋80%というデーターです。病院内にs20年から30年の町並み再現して思い出ミュージアムを作った・昔の道具に触ってもらい、回想法で記憶の活性化を図っている。この病院のウエルエイジセンターの高野所長が指揮をとっている。思い出療法は学会でも発表され注目を浴びている。この療法で12人の患者の半数が相当に記憶を取り戻している。長女と一緒に住みだしたオバアチャンが階段から落ちて脳挫傷になり、流動食しか受け付けない状態までなった人がここで治療を受けて普通食に戻り、また長女と一緒に住める状態まで回復している。 手で覚えたことは忘れない。事実お手玉もできる。ここで紙芝居(聴覚・視覚・飴の味覚動員)をやってみようということで、患者に聞いたところ、黄金バット、のらくろの紙芝居を神田の古本屋で探してもなく、インターネットで黄金バットをゆずってくれる人がき見つかり、病院で再現、拍子木はこのおばあちゃん、太鼓は他のオジイチャンにやってもらい・活性化につなげた。
 
③北名古屋市の民家に昔の道具を市が買い取って認知症の予防のための回想法の場所を設けた。石臼で粉をひいて、ひな祭りのオコシを作ることでオバチゃン達が昔を回想してずいぶんと喜んでいる光景があった。

2008年8月6日水曜日

探検隊

写真は長内デザイン室からhttp://www.snowdome.net/exhibition/s/index1.html
昨日の豪雨もすごいものでした。大雨注意報がでたら長靴が必要ですが、それ以上に降ります。

公民館の行事でした。親子で町探検をしようとう募集内容でした。家には災害用の非常袋が用意されていますが、実際どのように役に立つのかは案外わかっていません。
これは災害の場合の訓練の企画でした。
親子で9/6・7の2日間の探検です。本来は訓練かもしれませんが、初めての体験だから探検という冒険的要素が強いのかもしれません。

① 災害という視点でマップを作ってみよう。(災害用井戸や非常食の備蓄や病院や医院がどこにあるか。避難所はどこか)
街歩きのときの携行品はジュースやお茶よりも水がよいでしょう。とあるのは当日までの宿題ですとあります。顔を洗ったり、炊事の水はどの程度利用できるのでしょうか?

② 災害時の食事を体験しよう。アルミの缶でごはんを炊いてみましょう。緊急食を囲んでの夕食会です。寝具はタオルケットまたは大き目のタオル。
 トイレや夜間の照明はどうするのでしょうか?
③ 阪神・淡路大地震の体験をした人をお迎えして貴重なお話をを聞きます。神戸あたりでは全国にPR部隊を派遣しているのでしょうか?あるいは西東京市で呼んだのでしょうか。
④ 西東京市危機管理室の人やFM西東京の人から災害時の話を聞きます。
⑤ 避難所対策グッズの体験をしてみよう。(各家庭の非常袋の中身は使ったことがありません。非常食もいれたままです。)
⑥ 街歩きのとき、2日目の朝は早く起きて周辺を掃除してみましょう。ボランティアの試みもあるようです。
応募してみようかと思ったのですが、小学生とその親が対象でした

2008年8月5日火曜日

集中豪雨



写真は長内デザイン室からhttp://www.snowdome.net/exhibition/s/index1.html
昨日は小田急線の新宿から2つ目の参宮橋にいました。参宮橋も新宿も全く雨が降っていません。テレビニュースのテロップに西武多摩湖線(国分寺と萩山)拝島線(小平からJRの拝島)が激しい雷雨で運転中止しているという。下記路線図でもおわかりいただけますが、小平付近を中心の豪雨のようです。
うっかり天気予報はみていないので傘ももってきていない。19時に仕事の交替でその人は小生の住む東伏見の一つ手前の武蔵関で遅れないように1時間も前に出てきたという。しかし洋服も濡れた形跡はありません。こちらも帰路をどのような経路がよいか考えてもわからないのですが、西武新宿線の始発の新宿まで行ってみることにしました。駅の前はそんな混乱は見られず、構内に入ると列車時刻は相当に遅れていることを告げています。ホームも溢れんばかりです。16:30から1時間半にわたって運行を停止していましたとのアナウンスでした。溢れるほどのホームも手前はすごい混雑ですが、中程を過ぎるとそうでもありませんでした。電車もすぐにきて、途中の高田馬場も鷺の宮(5分停車)上石神井(3分停車)で通常ドアtoドア1時間10分が15分余計にかかった位でした。唯電車の中混雑は朝のラッシュ並でした。用心で借りてきた傘も不要でした。しかし駅付近はその跡形もありませんでしたが、自宅までは大きな屋敷に大木が10本位あるところの横はビショビショでした


     新宿線       多摩湖線
 新宿~22.6km小平1.5km→萩山9.2km国分寺
  
       ↓ 14.3km拝島線
      拝島
 2年前も西東京市でこんなことがあった。向台町で1~6丁目まである。これは東西で2kmの幅です。豪雨が1丁目に降って浸水までしたのですが、6丁目の人に聞くと、「えっつそんなことがあったの」という。
食料問題の記事でもこの25年間に洪水が4倍、最近では神戸の川の走水も集中豪雨のせいです。
夏の雨は集中的に降るようになり、降雨量の計算も50年に一度の確率で見ているようですが、相当大幅に見ておかないといけないように思いました。

2008年8月4日月曜日

市町村合併


写真は長内デザイン室の世界のお土産より
今住んでいる西東京市は田無市と保谷市が合併してできた街です。近隣との合併については何回も試みられて失敗を重ねてかろうじ出来た街です。
同じくらいの規模の街でしたが、いまだに市庁舎は保谷庁舎と田無庁舎と2つあります。議員や市役所職員の削効果がどの程度あったかはわからない。
便利になった点は保谷市は地形がカニがハサミを広げたような形で、ハサミで囲んだ丁度中の部分が田無市であったので両市あわせた形が格好がよくなった。
個人では図書館が数多くなったので利用できる図書の数も多くなったし、現在陶芸をやっているが、今まで田無市であった公民館でやっていますので、市民交流の幅が大きくなった点です。実感できる点はそういう点で合併の効果は長い目で見る必要がある。旧田無市のほうが財政では優良な企業を抱えていたので、よかったので、田無市のほうがシブシブであったようです。

虹の彼方に:池澤夏樹:市町村合併の本当の問題:

市町村合併によって官僚の数が減ることや、議員が減ることはそれぞれの経費が節減できてよい。村A,B,C,Dと町Xが合併する。今村は自立して地域内を自らの判断で経営
している。しかし合併後はそうはいかなくなる。人口比に合わせて議員をだすとすれば例えば、各村から3人づつ町からは10人。それぞれの村の思いは町に否定される。そんな田舎の些細な案件で自分達の足を引っ張るなといわれ、町化することが発展だといわれ、多数決での町の意見ばかりが通る。つまり、これは合併ではなく併合なのだ。例えば
石川県尾口村の文弥人形浄瑠璃は都会にいって見て、感動して持ち帰ったというような歴史がよくわかる。がこの種の公演は経済的に引き合わないことが多い。村なら援助の話しは理解されるが、合併後はどうだろうか。全国の寒村が危惧していたことはどうなっただろうか。

2008年8月2日土曜日

新しき村


自分が知らないだけなのでしょうか?西欧人は生活のエンジョイの方法をよく知ってします。探せば下記のような日本でももっと例があるのかも知れません。どうでしょうか?
武者小路実篤記念館に行った時に分かったのですが、武者小路実篤が創設した東の村(新しき村)が健在でした。一度訪れてみたいと思います。


光の指で触れてよ:池澤夏樹:中央公論社
「何なの、それ?リゾートなの?」と聞いた。
フランスの東部にエコドルフというのがある。
「ちょっと違うな。少しは働くらしいよ。いや、滞在だけでもいいけれど。働きたければ働けるみたい。畑仕事とかね。「よくわからない」
「休暇の過ごし方の一種。宿泊施設があって、畑があって、野菜を自給自足できるくらい作っている。普通の滞在客は宿泊にはお金を払うけれど、たくさん働くボランティア・スタッフになれば宿泊と食費はただになる。すきなだけいればいい」
「誰でも行けるの?」
「もちろん。ヨーロッパにはこういう施設は多いよ。みんな休暇が長いから。中身はいろいろ」「リゾート・ホテルじゃないから質実剛健だと思うよ。贅沢なものはない。でも周辺に観光地があれば行って遊べるし、安い宿と割り切って使う人も多い」

新しき村の現状(2008年)http://www.atarashiki-mura.or.jp/
●所在地〒350-0445 埼玉県入間郡毛呂山町葛貫423電話・FAX 049-295-5398(事務所)●土地約10ヘクタール(登記済) 借地約3ヘクタール●村内生活者19名(14世帯)
●村外会員約180名
●生産事業農業が主体で、採卵養鶏・椎茸・稲作・野菜が四本柱です。ほかに、季節ごとに筍・茶・梅・ゆず・ぎんなん・柿などを収穫・販売しています。土壌改良剤としての鶏糞も販売しています。加工品としては、梅干・梅サワー・ゆで卵・竹炭などがあります。村の売店で販売しているほかに、出荷しているものもあります。
新しき村の創立時から、村内生活者の日々の仕事は農業が中心でした。その理由は、実篤の言葉を借りて言えばこうです。「それは百姓の労働が一番もとだからだ。 衣食住をただにするには百姓の労働が一番近か道だ。それ以上の生活はそれからだ。」新しき村は農業にのみこだわっているわけではありません。適任者がいさえすれば、新たな事業に取り組むことができます。

2008年8月1日金曜日

後引きで気になっている。


昨日のNHKの番組にっぽん夏紀行「青い海に飛びこめ~高知・柏島~」が見終わってもまだ気になっている。
サンゴ群落に囲まれた高知県柏島。港にかかる橋が島の子どもの夏の遊び場だ。6メートル下の海に飛び込めるようになると、子どもたちは一人前と認められる。「今年こそ飛びたい」と願う小学5年生の拓也君。父のような漁師になりたいが、父は“橋ジャンプ”ができない拓也君をなかなか船に乗せてくれない。同級生が次々と飛べるようになるなか、拓也君は父との約束を果たせるか? 青い海を舞台に、少年のひと夏の成長をみつめるという前置きでした。
私も神奈川県の大磯ロングビーチというところでアルバイトをしたことがありました。50mのプールや10mの飛び込み台がありました。そこは泊まり込みでしたが、毎朝早く起きる人がいました。プールに飛び込む時に小さなポケットから小銭が落ちる。それが澄んだ水から見える。一日の日当に匹敵するくらいの収穫になっていた。これが皆に分かると早く起きるものが増えて、実入りは少なくなったようでした。そこの10mの飛び込み台に中間に5mの部分もありましたが、小生はその高さから見下ろすが、試行しませんでした。結構勇気が必要でした。ということで高さの恐怖はわかっていました。

拓也君は小さい時おぼれたことがあった。そのときの恐怖感があって一人だけ、シュノーケルをつけて30m沖のたまり場へと泳いでいた。
 泳ぎが10m→努力して検定してもらったら100mまでになった。当然シュノーケルは外すことができた。これだけでも大したものだ。
 同じく悩んでいたもう一人の友人は1年下の4年生の女子が眼の前で先行飛び込みを決行したのにつられて出来た。拓也君はだんだん追い込まれてゆく。
 とにかく周りの応援団は勇気を後押ししている。からかうものはいない。成功者はいう「一度の勇気」のあとは恐怖感が失せると。
 2m下の4mの橋げた部分まで下がる縄をつたわって恐怖感を和らげ、仲間が先導の飛び込みもやってあげたり、父も手をつないでやったが、握る手を離して一人残る。
やっとそっとではあるが肩を押されて成功。
いよいよ本番で橋の欄干の外まで出た。あと一息です。がんばれという声援があったがどうしても逡巡してできず、見守る方は気持ちはしたいが、肩押しはせず辛抱。

帰宅後の日記には6mの成功まではいたらないが、4mまでは行くことができた。何とか夏休み中に成功したいとの気持ちを記した。
この拓也君が夏休み中に是非成功して欲しいことがどうなったかが気になっている。