2010年6月30日水曜日

子どもの実力のほどに脱帽



おはようございます。仕事先のマンションの近所に宮様の邸宅があります。そこに警備の皇宮警察が警戒にあたっています。BOXは座布団2枚位、お臍位の高さの警棒に両手を添えて立っています。
おそらく24時間勤務でしょうが、警察署の前なら、署内の交代要員があるでしょうがどうなのでしょう。床屋さんも立ちっぱなしですが、ここの場合は折りたたみの椅子が畳んで立てかけてありますが、トイレなどどうしているのか心配したくなります。

岡本真(おかもとまこと)
アカデミック・リソース・」ガイド株式会社代表取締役・インターネットの学術利用を提案するメールマガジンに関係し、ACADEMICRESOURCEGUIDEの発行で図書館関係者に刺激を与えている。図書館を使った調べる学習コンクール※審査員でもある。下記の作品を「図書館」の関連雑誌で紹介しています。
※http://www.toshokan.or.jp/shirabe-sp/14youkou.pdf

千葉県市原市姉崎小学校3年生の大野元暉君の「大事な心臓ありがとう」

彼が自分の心臓を手術するにあたり、じゃあ心臓ってどんな働きをするんだろう。ぼくの心臓はどこが悪いんだろうといって調べていった作品です。

自分自身の小学3年時を思い返すと、心臓の手術、体を切り開く手術を受けるなんて、とても耐えられないと思うんです。家族の中で愛されて育ってきて、大野君にしたら
最初の大きな不安、もしかしたらはじめての挫折のようだったのかもしれません。でも彼は、その不安に向き合って、恐怖に打ち勝つために「知ろう」としました。」「知ること」で怖い気持ちを克服しようとしたんです。
彼は「心臓はどこにあって、どういうものでできていて、どんな仕事をしているのか」「血液はどんな働きをしてどこで作られているのか」など自分なりに徹底的に調べて知識を得た上で、ニワトリの心臓を解剖、観察し、お父さんお母さんと一緒に何人もの医師、看護師に話を聞いていきます。最終的には小学3年生が、大きな病院の執刀医と差し向かいで話会えるまでに」なって、ここまで真摯に病気に向き合う患者に対しては、医師も全力で説明、執刀せざるを得ないでしょう。この「知る」という行為を通して恐怖と向き合って大野君は納得して手術を受けた。こういう経験をしたとうことに私は感動しました。これを見守った両親もすごいですね。応募者の数を見ると小学校生10906、中学生3585、高校生600、大人40※)※大学生おそらくもここに入っているのでしょう。これを見る限りこのコンクールは高校以上については
成功していないようです)

2010年6月29日火曜日

メディアねたはアメリカ製


おはようございます。昨夕は市ヶ谷で仕事の帰りに寄った図書館を出る頃は、凄い夕立だった。折りたたみの傘では防ぎきれない雨脚だった。坂のある道路の上も流れができるほどだった。
やっと駅にたどりついて安堵した。自動改札機の一歩手前で、ちょっとツルっとした途端、転んでしまった。すると改札を出た若い女性が、小脇抱えたチラシが散乱したのを拾ってくれて「大丈夫ですか」「ええ大丈夫」
こちらは、転んだことの恥ずかしさで、すぐ人ごみに紛れたかった。どうして転んだのか床をみると、自動改札でのSUICA使用のビニール表示があり滑りやすくなっていた。ホームへ下りる階段もしっかり手すりを掴んでおりた。駅に入った途端、傘を畳むと雨雫が床に落ちていて、滑り剤を撒いたような状態になっていたのではないか。
ちょっと冷静になってみると、優しい美人の女性のようだったが、シカト顔を覚えていないし、礼もそこそこで、その場をさった。失礼なことをしたと思った。老人の至りだった。それにしても、幸いなことにどこも打ちどころなくよかった。

パリ日本文化会館館長磯村尚徳:日本人はなぜ世界が読めないのか。(2002年11月発行)

日本のリーダーの多くはアメリカ留学をし、「インターナショナル・ヘラルド・トリビューンやジ・エコノミスト誌を読み、CNNをみて物事を判断する。日本のメディアのネタも全てアメリカ製である。
いまや視覚メディアはコインランドリーと呼ぶ人もあるほどの自動洗濯機なのである。石油のビジネスがセブンシスターズ※1と呼ばれる一握りの国際資本の寡占状態に支配されているように、世界の情報・通信・娯楽はファイブ・ブラザーズ※2ともいえるアングロサクソン系のメディアの寡占の下におある。インターネットにいたっては、もっとひどい。首位ワールドコムにはじまり、上位13位までがアメリカの情報通信会社。日本からヨーロッパへ、またヨーロッパからアジアに交信しようにも、アメリカを経由しなければならず、アジアは国内交信でさえアメリカを経由するケースがある。(こんなに米英両国に手の内が分かられているのなら、中国がgooogleを拒否したのもわかるように思うが、そのような日本のメディアの報道はない)このような情報通信からの利益のみならず、米英など英語圏5カ国が共用運用している通信傍受システム・エシュロンのようにアングロサクソンは全世界の情報をおさえている。フランスでは民間会社の商談でさえ、エシュロンを警戒して秘密厳守の措置をとるところがある。
※1:http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/seven_sisters.html

※2 http://journal.mycom.co.jp/column/media/006/index.html

2010年6月28日月曜日

記憶は思い出せないとき作ってしまう


おはようございます。裁判員制度が始まって、免罪事件に関心をもつようになりました。「疑わしきは罰せず」というのは日本ではまだまだという感じがします。
又人間の記憶の結構曖昧な点があるということが分かるようになると、ますます『疑わし木は罰せず』への心配りが必要です。又裁判の怖さを感じます。
下記はややっこしい話でした

証言の心理学:高木光太郎著

日常的に販売しているごく普通の部品についてだった。

実際、捜査の協力を依頼されているTは捜査員に「よく覚えていない」とこたえていた。
店にT自身のサインがあることを示して、この日の販売について思い出すように求められた。伝票をみたTは自分がこの日に「AB41-03-5」という型番の電磁弁10個をK電機のKなる人物に売ったことを認めた。しかし出来事を事実として認めることと、その出来事の記憶(思い出せる)を持っていることとは別である。

肝心のKなる人物の容姿は伝票に記載されていることはないので、Tの記憶に残っていなければそれで終わりである。しかしTは善意であろうが思い出す努力を始めてしてしまった。Tは捜査員の用意した写真帳から選ぶことになる。このとき捜査員は「見たことのある人は何人でも選んでください」この説明は捜査員のミスなのだそうです。

Tが探す必要のあったのは電磁弁を10個買っていた人物なのである。つまり特定の時間と場所に結びついた人物を思い出すことであった。それが「知っている」「見たことがある」これは今朝電車の中でTの足を踏んだとか、昨夜みたテレビのニュースで何かのインタビューにこたえた会社員に似ているかもしれない。しかし伝票に自分のサインTをみたので、自分の「見た」「知っている」と感じた人物を容易に電磁弁の販売日のあいまいである記憶らしきものに、結びつけてしまうだろう。こうしたTの記憶のなかにFが登場する様々な出来事を思い出しはじめ「客がきたとき、表に車はいなかった」「客が入ってきたとき、私は整理戸棚の前にたっていた」「客が声をかけるまえに自分のほうからいらっしゃいませと言った」「自分のポケットからボールペンを出してサインを求めた」日常よくありそうな出来事のパターンで記憶の穴を埋めるのである。

T証言の構成はひとつの仮説が、自分の記憶の脆さを、周囲の人々の記録に支えを求めそれを自分の中に取り入れてしまうのはむしろ普通で、実際には体験していない事柄が多くが混入してしまった可能性がきわめてたかい。

写真帳から選び出すときに、346枚の写真をみせた。この枚数は8枚程度から大きくて50枚位がよいそうで、それも首から上など顔以外は見せていないことが大事。多いと自分の出会った人物、五百羅漢の中に自分が出会ったことの人に似た人がいるようなる。類似しているから、歪めてしまう。それがFの写真は他の写真と違ったパターンの特異なスナップ写真を見せたので、この写真は浮き立ってみえ、それだけで相当の影響をうけ記憶を鮮明にしたかのようだった。

こういう繰り返しで下手に補強されたFの写真が「合った」という記憶になってしまった。(このように浮き立った写真について実験した早稲田大学の富田達彦の興味深い際限実験で、被実験者60は名は一度もあったことがない人の「浮き立った顔」について何と25名の人が「見たこと」と答えたといのである。見たような気にさせるという要素が極めてたかいことが分かる。
結局Tの記憶が捜査員、サイン入り伝票、偏った写真帳、これらがTの記憶の「脆さ」に出会ったとき、Fを主人公にした「記憶」が生まれ、動き始めたのである。

Fは10年の裁判ののちに無罪になった。

2010年6月27日日曜日

生活者>企業への転換


おはようございます。昨日の陶芸教室の仲間から聞いたのは娘さんの近眼が手術によってなおったとのこと。費用は24万円、手術可能か事前に検査するそうです。
視力0.5が1.5に、手術時間はたった15分、費用も紹介があると、-5万円。手術できる年齢は60歳まで、もちろん健康保険はきかないが、個人的に加入している生保からなにがしか
支給されるそうです。

アジア三国志:中国、インド、日本の大戦略:英《エコノミスト》誌元編集長・ビル・エモットより

日本の企業や業界団体は、戦後の高度成長期を通じて、官僚機構と密接に協力してきた。1970年代に経済の方向性が変わり、世論が重要になってきても、日本はすぐには生産者ではなく消費者や有権者によって動かされるようにならなかった。企業と政府の結びつきは依然として強力で、あらゆる環境規制を跳ね返した。だから20年後の1990年に至っても長年日本に駐在していたアレックス・カーは「日本はきわめて原始的な産業廃棄物規制しかないままで、新世紀に突入した」と言い切る事ができた。
日本ではアメリカや西欧に比べて政府の規制の対象になっている物質が遙かにすくないが、それでも規制違反はしばしば隠蔽される。所沢市清掃工場での排出ダイオキシンの測定値が法律で決められた水準の150倍を市と関係者が共謀して隠していた。瀬戸内海の汚染、琵琶湖の藻のはびこり。それでも人びとは健康に元気に暮らしている。それは事実だが不幸にも有毒な排水の直接の影響を受けた場合にはそういかないし、補償を受ける場合の障害が立ちふさがっている。水俣病では1973年から1995年まで法廷闘争が続いた。日本でのもっとも恥ずべき話の一つである。

2010年6月26日土曜日

「ラジオ体操人」の延長戦


おはようございます。甲子園の高校野球でもそうですが、毎回著しい成長や進歩を示す場合があります。まさにそのような例が今回のW杯の日本チームの様子で、逆にまさかのイタリアやフランスの敗退もあり、
サッカーとは大変なスポーツですね。
昨日の続きですが、雨が降ろうが、槍が降ろうが、毎朝会場にでかけ、6時30分にあわせて体操せずにはいられない人々、彼らを「ラジオ体操人」と呼ぶ。何故これほどまでに人々の心を惹きつけるのか。実際に作り話ではなく、笑いを誘うほどの熱心さがあるそうです。

絶対感動本50:斉藤孝のおすすめブックナビ;素晴らしきラジオ体操(ノンフィクション):高橋秀実:の紹介ページから


 呪術?

「朝早く起きて身体を動かせば、」なんとなく健康になった気がするでしょう。誰かがラジオ体操のおかげで胃の具合がよくなったと言い始める。するとあれは胃によいのかと本気で信じてし
まう人が現れるわけです。そういったいわば信者の輪がどんどんひろがってゆく、一種のおまじないみたいなもんです」

体操の会場は台東区に39ケ所もあるが、それぞれ縄張りがある。そういう「しがらみ」
が嫌いな人は上野公園まで遠征するそうです。
ラジオ体操人というかたは、入院中でも毎朝、病院を抜け出して会場に通うほどの人までいる。「お百度参りと同じです。行かないと気がすまないんです。旅先でも旅館のロビーでやっちゃいます。」
「ラジオ体操していると死なないんです。」
「雨が降ろうが、雪が降ろうがあたしは休めません」
―――休めないんですか?
「そうです」
―――なぜですか
「休むと死んだと思われてしまうからです。」

2010年6月25日金曜日

夢は大きくと ラジオ体操


おはようございます。W杯一次リーグから決勝T戦に進出が決まりました。AM3時半からのキックoffからの観戦は遠慮して、目覚ましを4:45に設定し、11時半には就寝。目覚ましの必要はなかった。
あわててチャンネルを回したが、他国の試合の録画、これは敗退したが故の消化放送と思ったが、念のためもう少しまわして日本テレビで日本選手がうつっている。後半30分頃2:0で日本が勝っていました。その後日本がペナルティで2:1になり、引き分けでも決勝というものの、終了までの15分は長かった。岡崎が追加点をいれて3:1になってかなり安心しました。
本田選手「深夜の応援ありがとうございます。まだ満足はしていません。諦めないでがんばれば出来ることを証明できました。いいました優勝のはまだ遠いですが(岡田監督はベスト4目指して)頑張ります。」のコメントでした。
望みは大きいのでした。まず望みが大きくないと、目標も小さくなるのですね。

絶対感動本50:斉藤孝のおすすめブックナビ

素晴らしきラジオ体操(ノンフィクション):高橋秀実:の紹介から
雨が降ろうが、槍が降ろうが、毎朝会場にでかけ、6時30分にあわせて体操せずにはいられない人々、彼らを「ラジオ体操人」と呼ぶ。何故これほどまでに人々の心を惹きつけるのか

ラジオ体操が生まれたのは1920年代のアメリカで、ある生命保険会社が商品を宣伝するために始めた。保険会社は、自社の生命保険により多くの人を加入させ、保健が満期になるまで確実に保険料を払ってもらう、ラジオ体操を普及させて長生きしてもらおうという戦略があったそうで、その目論見が見事あたったのだそうです。
1925年には400万人がこの体操に参加、主な保険加入者である白人の死亡率がみるみる低下した。
それまでは『死を待つ不吉な商売』等と言われた保険会社のイメージを健康なものに変えるという恩恵までもたらした。
日本ではやはり保険事業にからむ思惑で、独占していた簡易保険の逓信省が、『保険にはいると早死にする』といわれるほど保険のイメージが悪かった。そこでNHKと共同でこのラジオ体操をはじめたのだそうです。
軍国主義下「国民体操」さらには「ヨイサ」と呼ばれ、全国的に広められた。大企業も職場でも取り入れられ、労働者と経営者が一緒に「ヨイサ」しており、当時の「サボタージュ」がなかなかできにくかったという。

2010年6月24日木曜日

生活基盤の選択


おはようございます。女性が考えている「生活基盤をどう安定させるか」は現実的で、ここは男性と違う点です。男性は流された生き方になりがちですが、足許を見つめ直してみたいとおもいました。

GOETHE2010・6月号(幻冬舎)
林真理子の「下流の宴」の紹介記事から

格差社会できれいごとはもう通用しない。下流も中流もいつでも逆転する世の中であることを突きつけた小説。「現代の幸せの形」は?
下流の宴、専業主婦の由美子は中卒で無気力な息子に気を揉むことへの同情の声。「他人事ではないって言う人が多い。由美子の悩みはもう一つ、娘の加奈は大卒だけ有名女子大を出て学歴をトッピング。恵まれた容姿を武器に”セレブ婚活動”に励んでいる。由美子の逆鱗にふれたのは、息子・翔が結婚したいとつれてきた珠緒の育ちの悪さに「私の実家は医者だった。あなたの実家の飲み屋とは違うのよ」と啖呵を切った。驚いたことに彼女は「じゃ、私が医者になりますよ」そこから始まる究極の受験は見物だそうです。
林真理子さんの「最近ガツガツ頑張る人はごく一部デダサイという風潮がすごく強い。努力する人を軽んじる風潮は間違っていると、思います。どこかの評論家が『屑鉄屋さんから弁護士になった人に「くず鉄拾いも弁護士も立派な職業だ」といったらいわれ弁護士が「そんなの嘘だ!屑鉄拾いは誰にでもできる。わかったか?」』いままでそういうことを言ちゃいけない空気があった。南の島で暮らして貧しくとも、それぞれ違う価値観で幸せ生きているからいいんじゃない、みたいな、でもそれはやっぱり嘘だったなという思いをこの本に込めたそうです。(小生は所得これにはのおおきな格差は是正すべきでしょうが、職業に貴賎はないという立場ですし、自分の仕事に打ち込んでいる姿は美しい。)

じゃ何が幸せ

①加奈の経済力ある男性を捕まえたい。これも危うい土台
②今は300円のお弁当を食べて1000円の服をきていれば生きていける世の中で、翔みたいにいくらでも怠惰になれる。選択の時。特に子供がいる親は頑張れば視野が広がる世界があることをちゃんと教えてあげなければいけない」
結局珠緒の快進撃は意外な結末を迎える(これだの甲斐性がある彼女が怠惰な翔と結婚するというのがわかりにくい)。幸せな生き方とは何か?という答えは読者の想像にゆだねられている。林さんも「どういう風にいきればいいのか、私自身もわかりません。」と語っているそうです。痛快なまでに本音をさらけだす彼女の姿勢にバブルも不況も関係ない。